歪み真珠

黒猫・白猫の歪み真珠のレビュー・感想・評価

黒猫・白猫(1998年製作の映画)
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仁義なき戦い、シンデレラ!魔法使いがいないなら、仲間とともに戦おう!
私の靴を拾った彼は運命の…?!

狂喜!シェークスピアも裸足で逃げ出すドナウ版ロミオとジュリエット!!
『鞘はここよ』ならぬ、『お金は◯◯の中よ!!』ありがとうおじいちゃん!

万歳!完全なる死者の再生!!死者復活の鍵はまさかのアレ?!

映画史上サイコーのセックス!性の解放なんてくそ食らえな貴方も納得。精神と肉体の解放は大歓迎!向日葵と愛する人は最高の媚薬!!


牧師『狂気の沙汰だ!』

これぐらいのバイブスで人生をやっていきたいと心のギャルが叫んでる。


ーー閑話休題ーー


「ここに太陽はない」という老人の言葉と若い二人がセックスした向日葵の野原。
やっぱりクリストリッツァの映画はユーゴスラビアの歴史を無視して観ることはできない。
何度も「自由万歳」と叫ぶ、その裏に何があるのか疑ってしまう。わざわざ表示される『HappyEnd』アンダーグラウンドの時もだけれど、ラストの多幸感溢れるシーンはどちらも“その世界”から離れていく。笑いあう未来ある二人は船に、酒を飲みかわす二人は(元)死者だ。

彼の映画によく表れるモチーフ、動物と結婚式と井戸。ここら辺を考察したものがあれば読みたい。
結婚式に関してはちょっとクリストリッツァの嗜好を感じる 花嫁がドレスを汚して走る姿に。走る花嫁はいつも力からの逃亡だ。生命力の権化みたい。そしてヴェール。あの流れるフォルムの幻想的な様子は映画全体がリアルと虚構の狭間にあることを印象づける。二つの世界を繋ぐ要素。そもそも結婚式という儀式自体にそんな匂いがしませんか。残りの長い人生、リアルと向き合ってやっていかなきゃねという重みと、今までの人生を祝福でもって総括したような終わりとを繋ぐ結び目。
次に井戸。これは未知の世界とを繋ぐ結び目。今回は違うけれど、アンダーグラウンドではこの世ならざる世界とを繋ぐ。その結び目に表れるのは水に揺蕩う花嫁衣装のヴェールだった。
そして動物。命の“軽さ” クリストリッツァの世界では簡単に動物が死ぬ そして人間も。その軽さが、例えようもなく明るい。儚いなんて感傷が入る隙間もなく簡単に、あっけなく命が死ぬ。現実世界で何となく優劣のある動物と人間。それが一直線に並ぶことで既存の、そして大したことのない倫理がどこかへ行ってしまう。


命がビッカンビッカンに輝いていて、チビでも巨人でもどんな愚図でも卑怯者でもすべてを肯定している圧倒的受容力!東欧のフィルムを一枚かざしたようなくもぐった太陽と底抜けに明るいジプシー音楽のエネルギー。何もかもを受け止めるクリストリッツァの愛した土地へのラブレターだった。