青乃雲

灯台守の恋の青乃雲のレビュー・感想・評価

灯台守の恋(2004年製作の映画)
4.5
珠玉の逸品という言葉がよく似合う作品。

人の心のもつ寂しさと慈愛に満たされながら、フィリップ・リオレが生理的にもっているだろう存在論と美しく溶け合っており、始めから終わりまで陶然としながら観た。僕のなかでは100本に1本くらいの頻度で出会う、とても美しい映画。

前作『マドモワゼル』(2001年)で、ジャック・ガンブラン演じるピエールが構想した、戯曲『アルマンの灯台』からスピンアウトしたような話になっており、けれど前作を観ていてもそうでなくても、独立した美しさを持っている。

灯台守がいた時代。

閉鎖的な島へやってきた美しい青年アントワーヌと、島で生まれ育った美しい人妻マベとが恋に落ちる。これが1つのモチーフになっているものの、だからと言って『マドモワゼル』もそうであったように、不倫がテーマなわけではない。

その繊細な美しさは、小さな声でナイーブに語りかけているため、聞き逃してしまいそうになるくらいであり、1人の青年の去就が、1つの時代の去就と重なりあうような上質さがあった。



劇中に1匹の猫が登場する。

名前を「バンクォ」といい、これはウィリアム・シェイクスピア(1564-1616年)の4大悲劇の1つである、『マクベス』に登場する将軍の名前でもある。猫のバンクォは、マベの実父(夫のイヴォンは婿養子)が可愛がっていた猫で、灯台に居ついている。そして、その父親が亡くなった葬儀の日に、灯台守の見習いとしてやってきた青年アントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)に懐くようになる。

『マクベス』は、以下の3人が主な登場人物。
・将軍マクベス
・マクベス夫人
・将軍バンクォ

『灯台守の恋』でも主な登場人物は3人。
・夫イヴォン
・妻マベ
・青年アントワーヌ

このように、いずれも1組の夫婦と1人の男の物語となっている。

『マクベス』では、マクベスとバンクォの2将軍が、戦場からの帰路の荒野で、3人の魔女から予言を告げられる。魔女たちは、マクベスに対しては「万歳、いずれ王になる方」と告げ、バンクォには「王にはならないが、王を生み出す」と予言する。やがて、魔女たちの予言に翻弄されるように、マクベス夫妻は野心を抱き、共謀して王を暗殺して自身が王となる。しかし、最終的にはバンクォに討ち取られてしまう。そして、巡り巡ってバンクォの子孫が、王位に就くことになる。

マクベス夫妻の間に子供がいなかったように、本作のイヴォン(フィリップ・トレトン)とマベ(サンドリーヌ・ボネール)の夫婦間にも子供はいない。そのため、猫のバンクォがアントワーヌに懐くのは、アントワーヌ=バンクォ将軍という構図を思わせる。

マベの実父(イヴォンの継父)を王になぞらえるなら、王の死とともに、アントワーヌ=バンクォ将軍がやって来たという意味でも符牒(ふちょう)が合う。また、マベの夫イヴォンも、アントワーヌと同じように元から島の住民ではなく、マベを追って婿養子になっている点で、2人の境遇の類似性(王家の血筋ではない将軍)も浮かび上がってくる。

このように、シェイクスピアを下敷きにしたような内容は、前作『マドモワゼル』の劇中で、戯曲『アルマンの灯台』として描かれたことに由来するのだろうと思う。



映画は、イヴォンとマベの元から巣立ち、今はパリで暮らす娘カミーユ(アン・コンザイニー)が、長年離れていた故郷のブルターニュ地方の島に帰ってくるところから始まる。イヴォンとマベ(カミーユの両親)は既に亡くなっており、生まれ育った家を売却するための帰郷であり、伯母のジャンヌ(マルティーヌ・サルセイ)と最後の夜を過ごすうちに、一冊の本を手にすることになる。その著者の名前はアントワーヌ・カッサンディで、上記のアントワーヌその人。

表紙の絵は、父イヴォンが勤めていた灯台。アントワーヌの名を目にした叔母の様子を不審に思いながら本を読み進めるうちに、父と母(そしてアントワーヌ)との間にあった秘密を、娘カミーユは知ることになる。

その秘密とは、娘カミーユの生物学的な父親はアントワーヌだったというもの。『マクベス』では、将軍バンクォの子孫が王位を継ぐことになるように、本作でもアントワーヌ=バンクォ将軍の子種が残ったことになる。しかし、『マクベス』のような悲劇とは反対に、アントワーヌとマベとの関係だけにとどまらず、浮気されたことになるイヴォンとアントワーヌとの間にも、友情があったことが分かる。

マベの夫イヴォンは、自分の子ではないことを知っていたにも関わらず、長年子供のできなかった妻が産んだ娘に愛情を注ぐ。カミーユもまた、娘として父から愛されたことを誰よりも知っている。

そのようにして、父と母(そしてアントワーヌ)に関する物語と、自身の出生の秘密を知ったカミーユは、すでに買い手のついた実家を売るのをやめる。出生の秘密を知ったからこそ、振り返ることのできた父母の愛の深さ。その背景にあった、アントワーヌとの思いを知ることができたからというふうに話は終わる。



フィリップ・リオレの他の作品のうち、たとえば『パリ空港の人々』(1993年)や『君を想って海をゆく』(2009年)でも、それぞれに事情を抱えた人々(異人種・異民族)が出会い、交差するように別れていく。そして、この『灯台守の恋』や前作『マドモワゼル』もまた、同様の軌跡を描いている。

これは、フランスが直面する多民族化を反映しているようにも受け取れるものの、そうした社会的な要素のいっぽうで、人と人とが出会い、生きて死んでいくその刹那を、繊細に普遍的に描いているようにも僕は感じる。

原題は『L'equipier』で、英語にすると「Team member」(仲間:相棒)だろうか。英題は『The Light』。今は機械化された灯台(Litehouse)の運営も、当時はチームで切り盛りしなければならなかった。また「Team member」が意味するのは、そうした灯台守としての事情だけではなく、イヴォンとアントワーヌとの秘密の友情でもあり、人種や民族を超えた触れ合いのようにも感じられる。

そして、僕がたまらなく好きなのは、人と人とが出会うときには、すでに別れているようにも思える、その刹那的な関わり方にある。また、本作に描かれるアントワーヌにしても、『君を想って海をゆく』に描かれるクルド人難民の少年にしても、1人の人物に、時代の幻影のようなものを映し出している点に、この監督の深いまなざしが感じられる。

小津安二郎(1903-1963年)もまた、そうだったように。

彼らが去っていくように、時代も過ぎていく。僕たちが誰かと出会うときには、すでに喪失されている。けれど、そのように交差した刹那にこそ、命の輝きが繊細に照らし出されることにもなる。

★フランス
青乃雲

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