み

東京物語のみのレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
4.7
初小津作品。結果的に今で良かった。もっと若い頃に観たらその良さが分からず、スルーしてしまっていただろう。

ハートウォーミングなほのぼの家族物語だと思ってたら、極めて論理的に構築された社会学の論文にもなりそうな脚本に詩的な情緒も重ねた、背筋が凍るほどの完成度の作品でした。

家族の単位は変わるのだ。

この作品がこんなにも愛され尊敬を集めているのは、きっとこの人類に普遍的なテーマを世界中が理解し、子どもが巣立ってしまったことを悟った老夫婦の寂寥感という情緒的要素をもまた共有できるからだ。

夫婦と子どもという家族の単位。その構成要素は子どもが成長して配偶者を得たときに変わる。

長男と長女はすでに別の家族の構成員となっていて、老夫婦の「子ども」ではない。長男長女の配偶者の方が老両親を気遣うのが印象的だった。長男長女はかつての家族だった両親よりも現在の家族を優先する。彼らの配偶者は彼らの家族である長男長女を優先し配慮してその両親をもてなそうとする。

一方で未婚の末娘はまだ老夫婦の「子ども」である。次男と死別した紀子は擬似的に「子ども」に戻った。
だからこその紀子のホスピタリティであり、兄姉に対する末娘の憤慨なのだ。
それを紀子はよくわかっている。ただいつまでも「子ども」でいられないことも、いつかは紀子も別の家族を必要とすることを悟っている。だからこそのラストの周吉のやりとり。もう一つ、とみが紀子の家に泊まった晩、「ええ人じゃのう」と言われた後の表情と電気を消した後の横顔。

離れて暮らす独身の三男は、完全には巣立ちきっていない中間的な存在で、だから親孝行できなかったことを悔やみつつ、それでも紀子より先に、自分の暮らしに帰っていく。

周吉ととみも、自分たち夫婦と子どもたちという家族の単位が一番なのだ。
それが「(孫よりも)やっぱり子どもの方がええのぅ」というセリフに如実に現れる。新しくできた家族を守る今の長男長女ではなく、かつての「子ども」だった幸一と志げが肯定され、「昔は優しかった」のだ。

ただ、こんな組織論、機能論で割り切れない人情もよく分かる。

だからしみる。

そして物語を綴る映像の、特に屋内の映像の奥行きの見事なこと。

名作はすごい。
み