おかだ

カイロの紫のバラのおかだのレビュー・感想・評価

カイロの紫のバラ(1985年製作の映画)
4.5
映画がもたらすもの


ウディアレン強化月間、3本目はファンタジーロマコメとも称するべきか「カイロの紫のバラ」。
これがまた、とても良い映画でした。


不況の1930年代アメリカ。
職場でミスを繰り返し、家では無職の旦那にDVを受けるという辛すぎる日々を送る主婦セシリアの唯一の趣味は映画鑑賞でした。
そんな彼女が、ある日いつものように映画館で映画を観ていると、なんと作中のキャラクターがスクリーンから飛び出し彼女を連れ去ってしまうから大騒ぎ。
というのがあらすじ。

先週観た「アニーホール」や「マンハッタン」とは少し毛色が異なり、ややコメディ要素が薄まりファンタジー色が強まった今作。

アニーホールでも見られた、第四の壁を突き破るメタ的演出を全編にもってくる世界観がとても楽しいです。
それから、キャラクターが去ってしまい進行が止まってしまった映画世界のキャラクターが、やる気を失って観客に悪態をつくさまが笑える。
その後の、飛び出したキャラクターとそれを演じた実在の俳優が入り乱れた三角関係という展開も非常にユニーク。

一方で、引き続きウディアレンとコンビを組む撮影監督ゴードンウィリスが撮るニュージャージーの街並みは、やはり引き続きめちゃくちゃに素敵。
撮影監督の大事さを教わった今日この頃です。


何よりこのようなユニークなプロットや見栄え良い景観を用いて表現した今作のテーマが素敵すぎて、個人的にはそこがたまらなかった。
そのテーマとは、映画鑑賞の意義そのもの。

映画とは娯楽である。
道徳を学ぶ教科書でもなく、プロパガンダのツールでもない。
しかるに、人が苛烈な現実と向き合うために作られる道具であるし、だからこそ今作の舞台も大恐慌の1930年代アメリカになっている。

そんな環境の中で、だからこそ主人公セシリアは文字通り映画の世界に夢中になり、僅かな間でも過酷な現実から救われる。
そして、それを誰よりも理解しているからこそセシリアは、非現実的なロマンスを捨てて現実での幸せを選択する。
だけどもちろん、そのように現実は甘くないので、冒頭の家出シーンとの極めて残酷な反復がクライマックスに行われる。
そして失意の中で駆け込んだ映画館にて「トップハット」を観始めた彼女の表情を切り取りながらこの映画が終わる。

悲哀と希望を帯びた、とんでもなく素敵なエンディング。
ウディアレン自身にとって、そして人々にとって、映画鑑賞という行為がどのような意味を持つのかを、彼女の表情一つで映し出してみせた。
ここはやっぱり、ひたすらにコメディと、そして映画と向き合い続けてきたウディアレンならではの表現やったと思うし、さすがだなと思いました。
最高です。


ラストに作中で流した作品が「トップハット」だったことも大いに意味があったと思います。
特に過酷な時代であった、大恐慌や戦時中。
そこで隆盛を極めた映画ジャンルが、ミュージカル。
現実が過酷であればあるほどに、ミュージカルやファンタジーといったジャンル映画に託されるものは大きくなる。

本格的なミュージカルやファンタジーが作られなくなり、道徳や多様性を謳うお行儀の良い作品が多くなってきた昨今。
この論説でいくと、逆に現実はとても平和であるという喜ばしい結論となる。
そして、コロナ禍という前代未聞の経済危機を経てこのような状況が、今後映画にどのように反映されていくのか。


という訳で、少々脱線してしまいましたが、いつものウダウダと小うるさいウディアレンが苦手な方にこそオススメしたい傑作でした。
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