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シャインのNのレビュー・感想・評価

シャイン(1996年製作の映画)
2.7
オーストラリアの実在するピアニスト デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描く



あまり感動しなかった、残念



デイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。

才能を発揮し、天才少年と呼ばれた彼は、アメリカ留学の話を薦められるが、父親が経済的な理由と、自分から離れていく事をよしとせず断ってしまう。

しかし、コンクールでの演奏が評価され、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がると、父親の反対を受けながらも、家出する形でロンドンに渡る。

ロンドンでピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの、その後精神に異常をきたし始める。

地元に戻り精神病院に入り、一進一退が続くが、療養所の女性に引き取られ退院。

その後のある日バーでピアノを弾く。
それが新聞で話題に上り、再び演奏家の道を歩もうとし始める。

1984年、夫人になるギリアンと出会う。ギリアンは、内面的・対面的に混乱状態にある彼に、愛情、静寂、そして安定をもたらした。



関係者からの批判

映画化に当たって、ヘルフゴットの家族や幼少期の関係者たちへの取材はまったくなく、公開後、映画を観た家族や関係者から、映画は事実に反したでっちあげであるとして抗議の声が上がった。

姉のマーガレットは1998年に、関係者の証言を集めた抗議の本を出版し、父親は映画に描かれたような暴君ではなく、デイヴィッドともうまくいっており、デイヴィッドの精神的な病気は家系的なもの(叔母も同じ病気)であると主張した。

また、父親はホロコースト時にはオーストラリアにいたこと、デイヴッドは精神病院に入る前に別の女性と結婚していたこと、バーのピアノ弾きの仕事は姉が紹介したことなどを明らかにした。



デイヴィッド・ヘルフゴット

ロンドン時代に明らかなノイローゼの症候が現れ始める。オーストラリアの医師クリス・レノルズが語ったところによると、不安神経症であったという。

1970年に帰国し、パースに戻り、最初の夫人クレアと1971年に結婚。
オーストラリア放送協会の演奏会にたびたび参加する。

結婚生活が破れた後に、パースの精神病棟グレイランズに収容される。
それから10年以上にわたって、向精神薬や電気けいれん療法といった精神療法を受ける。

1984年より数年間、パースのワインバー「リッカルドス」にて演奏を続けるうち、占星術師ジリアン・マレーと出逢い、再婚。
1980年代から1990年代にかけて、国内だけでなくヨーロッパでも演奏活動を続ける。

現在はニュー・サウスウェールズ州ハッピー・ヴァリーにジリアン夫人と暮らしている。
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