COZY922

太陽を盗んだ男のCOZY922のレビュー・感想・評価

太陽を盗んだ男(1979年製作の映画)
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中学校の理科の教師が東海村の原発からプルトニウムを盗んで自宅で原爆を作り、原爆をたてに警察に要求をするという、はちゃめちゃで荒唐無稽ぶりが物凄い映画。組織的な犯罪ではなく計画からプルトニウムの盗みから原爆作りまで何もかも1個人の犯行、セキュリティもへったくれも無い原発の施設、プルトニウム以外は一般に手に入るものでの原爆製造など、まともに考え出したらキリが無いほど破天荒過ぎるが、ここまで徹底して無茶苦茶だとブラックで奇妙な勢いみたいなものを感じるから怖い。

原爆ではないが、予告犯行や国家機関のサイトへのハッキングなど、ピンポイントに天才的な知識や頭脳を持つ人間が社会を相手どり犯罪を犯して、世間・メディア・警察などが右往左往するのを楽しむ、いわゆる愉快犯というのは実際に存在するわけで、そういうカルトに近い狂気の沙汰ぶりという意味ではこの映画の製作時よりもむしろ現在のほうが現実味を帯びていると言えるかもしれない。70年代にこの作品を撮ったのはある意味 奇跡なのかも。

原爆まで持ち出してこの犯人が要求することは『TVのナイター中継を試合の最後までやれ』とか『ローリングストーンズの日本公演をやれ』とか実にくだらない。結局、犯人は何か目的があってそのために原爆を作ったのではなく、自分の知識を試し実行してみたかったんですよね。知識欲がエスカレートし趣味が高じて原爆を作った。で、実際にできてしまったことに無上の喜びを感じ、その凄さを世間に認めさせたかったんだと思う。だから、要求は何でもよかった。要求は目的ではなく自分の凄さを知らしめ他人に注目される手段だから。そう考えると辻褄が合うし主人公の心情描写がほとんど無いのもわかる。現実社会の愉快犯による犯行動機で『注目されたかった。見返してやりたかった。』というのをニュースで何度となく耳にしたことがあるが、そういうことなんだと思う。

しかし、何でもよかったって言っても、ナイター中継とはね、、。これも『したいことが何も無い』無気力かつ破滅的なキャラクターだということの表現なんだろうか?

沢田研二の怪演が際立ちます。イカれてるとしか思えない異様な目(褒め言葉)。怪演としか表現できません( ̄▽ ̄)。音楽と、心臓の鼓動、呼吸、雑踏、一挙一動のシンクロも映画の空気を形成するのにとても効果的に使われている。

・・・スコアは、、いろんな意味で突き抜けててつけるのが難しい(笑)。
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