なんだろう、
大林作品といえば合成とかエフェクトを自由に使いまくって、また編集もやりすぎるぐらいが彼の映像世界を作り出し、映像的な感動を生み出している核となる部分だと思うんだけど、この作品においてはそれが極力抑えられている。
同年に撮られた「廃市」は、ATGだし大林ワールドが感じられないのはなんとなくわかるけど、この作品は角川映画だしどうしてエフェクトに振り切らなかったのか。ある意味彼の中で実験だったのかな
日常風景の中にいかにもなセリフや動作、合成映像を入れることで、日常を解体して映像世界に引き込んでいくのが大林節なんだと思うけど、
ニューカレドニア島が、美しく開放感に満ち溢れていて、我々日本人からすればそれ自体が非日常であり、なかなか彼の力を発揮できなかったとかかな?
と思っていたら特典映像の大林のインタビュー聞いて割と納得しました。
当時のニューカレドニアは独立運動すごかったらしいですわ、メディアとかでバンバンニュースになっていたよう。今日の風景は明日見れないかも、と言われるほどに運動が激しかったみたいです。
天国に一番近い島を描くためには強い理想を描かなきゃならない、と。
原田知世がだんだん可愛くなっていくのがいい、最後にみせる涙もなんかストーリーとか関係なく好きになってしまうな!!!
黒縁メガネの知世も好き好き大好きやっぱ好き