人が差別に対する理由を述べる時、差別対象に対する不快感のみが本当でその不快に対する理由は全て後付けにすぎなくて(差別以前に「全て」こうではあるが)、だから人によっては差別を止めるのがとても難しいのかもしれないと思った。
映画としてスクリーン中で描かれていることも、本来演じている人や社会とは切り離せないから、演じることが演者の生き方に影響してくることも多いんだろうなー。
愛しい人を腕に抱きながら歌う子守唄が、その人の言葉じゃなく、自分の母語なのよかった。子守唄って母語で聴くものだから当然なんだけど……