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囚われの女たちのはなのネタバレレビュー・内容・結末

囚われの女たち(1999年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

『囚われの女たち』と『パンタレオン大尉と女たち』で異なる点として、パンタレオン大尉と親しくなる女性の国籍が挙げられる。原作ではブラジレーラだが、映画作品ではコロンビアーナとなっているのだ。このように変更されていたのは俳優の話す言語に理由があると私は考える。ブラジルはブラジルポルトガル語が公用語である。だが、映画の舞台となっているペルーはスペイン語が公用語である。ブラジルポルトガル語とスペイン語は似ているため何を言っているかは通じるという話を聞いたことがある。実際、私は大学で双方の言語を学んでいるが、共通点は多い。と言っても、全く異なる部分もあるため時としてコミュニケーションが難しいこともあるのではないかと思われる。文字で伝える文学作品は微妙な言語の違いを表現しやすい。単語のつづりを少し変えたり、傍点をつけて強調させたりすることができるからだ。しかしながら、すべて音声で表現される映画では微妙に言葉が通じない様子を表すのが難しい。絶妙な演技をさせるよりも、初めからスペイン母語話者という設定にすることで円滑なコミュニケーションを図ることができるようになり、女優本人の魅力も引き出しやすいはずだ。また、視聴者としても内容を理解しやすいという利点もある。
また、起用されている女優であるアンジー・セペダがコロンビア人だという理由も挙げられる。外国から来た魅力的な女性という点では原作と同じである。コロンビアーナとして登場させれば、スペイン母語話者が無理にブラジルポルトガル語を話す必要がなくなる。女優が演じやすくなるようにするためにも、コロンビアーナという役柄に変更がなされたのだと私は考える。自分の母語でセリフを言うことで自分なりの表現もしやすい。アンジー・セペダが持つ魅力や演技力を最大限に生かすことができ、映画としての完成度も上がる。それほど、俳優の話す言語は大きな影響力を持つと私は考える。そして、ペルー以外のスペイン語圏でどの国の出身にするかを決める際にコロンビアを選んだのは、細かな粋な演出だと考えられる。コロンビアーナの国籍自体は本編とあまり関係がなく、外国人という設定があるだけであるため物語の舞台となっているペルー以外の国ならどこでも良かったのだ。女優の国籍に合わせることで顔から感じ取れる国籍や彼女本人から醸し出される国のイメージとの齟齬もないため映画に違和感が生まれない。そのため、アンジー・セペダの故郷であるコロンビアが選出されたのではないかと考える。
以上より、ブラジレーラからコロンビアーナに変更された理由には起用された女優が大きく影響していると言える。女優本人の演じやすさ、女優の魅力の引き出し方において利点があり、何よりも映画の完成度に貢献してくれる。物語の展開だけでなく、このような細かいところまで気を配るからこそ演出できるコロンビアーナは『囚われの女たち』の中でより輝く存在へと変貌したと私は考える。

いろいろ過激だった。コロンビアーナがすごい。あと、シンチのスペイン語が一番聞きやすかった。訳見なくても理解できるレベルの簡単な文章を使ってくれるから勉強用にシンチのラジオのリスナーになりたいと思った。
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