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ピーター・パンの1OO4のレビュー・感想・評価

ピーター・パン(1953年製作の映画)
4.2
常に世間体を気にして必死に中産階級であることを主張し、見栄を張ろうとしているダーリング氏と、名門のイートン校出身で富や権力のあるフック船長の関係は、ダーリング氏の現実世界での願望をあらゆる点で叶えられた理想の姿がフック船長であるといえる。作者バリーはこの2人のキャラクターを通して、この時代の産業社会において「大人の男」であることの困難さ、つまり男性の幼児性を伝えようとしている。

ウェンディ、ティンカー・ベル、タイガー・リリーはそれぞれ異なった地位の女性を表している。ウェンディは性的な関心を表面することにためらいがある白人中産階級女性、ティンカー・ベルは感情表現にためらいのない白人労働階級女性、タイガー・リリーは性的欲求の強い非白人女性として描かれている。作者バリーは彼女たちを通して、恋愛が経済活動として見なされ、労働者階級の女性は社会に悪影響を及ぼす存在とされる、中産階級においてのセクシュアリティを表現したかったと考えられる。

‘’I'm youth, I'm joy. “というセリフから分かるようにピーター・パンには自意識というものがなく、これこそがフック船長にとっての「正しい作法」の究極のあり方であった。つまり、社会のしがらみに囚われないピーター・パンに憧れるが、彼と接するほど自分はピーター・パンにはなれないとわかり、彼に憧れると同時に憎まざるを得ないフック船長、という二人の関係が伺える。これは、社会の秩序をおびやかす異物であると同時に、社会の規範や因習にしばられずに自由になれる別世界である子どもの世界に対して、イギリス人の大人が憧憬と嫌悪を抱いていることを反映している。
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