MikiMickle

ニッポンの、みせものやさんのMikiMickleのレビュー・感想・評価

4.3
映画もテレビもなかった時代。人々が娯楽としていたものは様々あれど、そのひとつは見世物小屋だった。

珍品や曲芸、奇獣、そして奇形の人々を扱ってきた。

日本において、その歴史は室町時代から始まるそうだ。当時は浄瑠璃などのものをしていたが、江戸時代には様々なものが含まれるようになった。サーカスと動物園と怪しげな物が混雑する世界。

江戸後期の全盛期には300軒ほどあった見世物小屋は、1950年末には48軒。1975年以降は、障害者の取り締まりが厳しくなり、一気に減少。2010年からは、この映画に出てくる大寅興行社1軒のみとなったそうだ。

その大寅興行社と10年にも渡り交流を深めた奥谷洋一郎監督が、「見世物屋が見世物になりたくない」という彼らの意向通りにDVD化をしない事を条件に作ったのがこの作品である。


そのリバイバル上映に行ってきた。
見世物小屋を取り扱った作品は、『フリークス』や『悪魔の植物人間』・『小人の饗宴』・『ファンハウス』(や、その影響作品)、ホドロフスキーの映画などや、日野日出志の「サーカス綺譚」や丸尾末広の漫画など多々ある。

私自身、こう言った見世物小屋を見たことも入った事もなく、完全な未知の世界であるし、
“差別”と“生活”と“エンターテイメント”を文化の面で学んでいきたいと思っている私にとって、実際の日本のものを見る機会は今に至っては無いので、どうしても見たかった作品。

内容としては、興行の中身というよりは、見世物小屋さんたちの、繁栄と衰退。その中で続けるという難しさ。そして、自らの仕事への愛情を感じるものだった。
主にインタビューを受けるのは、家族経営の大寅興行社の長女の裕子さん。親の跡を、様々な理由がありつつも継ぎ、何十年もこの世界にいる。

大寅は、創業者の親父さんの息子さんの太吉さんを筆頭にその姉妹たちと、太夫(芸を見せる人)家族の7人所帯。協同生活をしながら、地方を飛び回る生活をしている。全盛期は、もっと大所帯であったそうだ。今は、太夫さんは2人しかいない。
主にインタビューを受けるのは、家族経営の大寅興行社の長女の裕子さん。親の跡を、様々な理由がありつつも継ぎ、何十年もこの世界にいる。

また、大寅とライバルであった小政興行の宗男さんや、素晴らしくかっこよくハラハラとする口上を披露してくれた美代子さんなどのインタビューもあった。
今は射的屋台を営む宗男さん。彼の商売口上や子供らへの対応を見ていると、そんじゃそこらの方々とは全く違う上手さと、愛を感じる。そして、生きてきた証を…彼は語る。昔は“かたわ”と呼ばれる障害のある人々が“口減らし”として見世物小屋に売られていた事、俺も売られたその一人だと…

私がよく想うのは、かたわと呼ばれていた人達の事だ。タコ女、だるまなどと言われた人々や結合双生児や、奇病の人々…今現在、彼らは今何処にいるのだろうか。目にすることは乙武さんくらいだ。が、存在している。もしくは、出産前に堕胎されているのだろうか…昔は彼らは、忌み嫌われるものとして差別され、その一部はこういった見世物小屋に売られた。そして、彼らはショービジネスの世界に生きた。
その後、政府の取り締まりで保護される事となる。 が、そういったエンタメの行為は完全なる“悪”なのか? 完全なる“差別”なのか? 私はそうは思わない。確かに、自分は“健常者”だという価値観のもとで、障害のある人々をけなし、苛め、差別し、見下す事は、卑劣な事だ。それは確実に。
が、実際に、デイジー&ヴァイオレット姉妹やジョニー・エックのように、映画やショービズの世界で一躍有名になって名声を得た人もいるわけである。見世物小屋の人々もそうだ。ポンプ人間・大男・小人など、テレビなどにでて、有名になった。もちろん、そこには数々の苦悩もあっただろう。
が、私が言いたいのは、有名だのテレビだのの話ではなく、そこに、“存在する意義”があったのではないかという事。差別され、“かたわ”と呼ばれ、家族の愛を得られなかった人々が、“ショー”をし、見世物小屋で“家族”を築き、必要とされる事で、何かしらの“希望”となったのではないかと……
もちろん、これは一言では言えないが、そういう面もあると思う。
例えば、この大寅に60年近くいるお峰太夫さん。彼女が今から他の生活にといっても無理な話だ。ショービズが、生きる全てなのだ… そもそも、“可哀想う”と思う事自体、健常者と呼ばれる者のおごりであると…

話がそれた。
とにかく、“生活”と“愛”を感じた。そして、“衰退”というものも…
“なんだかんだ、この世界が結局好きなんだろうね”的に語る裕子さん。今も健在な口上を魅せる美代子さんは、「また戻りたい」と。「今、また戻れと言われても戻りたくない、戻れない」という宗男さん。そして、お峰太夫さん…興行主にとっては、“所有物”と見なされる太夫……しかし、そこには愛があり…
そういった、人生を見世物小屋と共に生きてきた人々…単純な言葉では言い表せない……
人々はエンターテイメントを作り上げていく。永遠と続いていく。が、彼らの人生であったこの世界は、もう、終わって消えていくものなのだ…… それを思うと、涙が込み上げる……

映画の中で、ある人物の死が描かれる。朴訥とした監督のナレーションの中、その死は、思い出と共に消え去る、この文化そのものだと感じる……そして、単純に悲しい…… 悲しい……

映画の面で言ったら、なかなかメディアにもでず、目にすることもなかなかなくなってしまった文化を見れた事がまず素晴らしい事だと思う。消えていく文化… それを、長年の信頼関係からフィルムに収める事の出来た監督は凄い。興行内容だけでなく、彼らの心情や、苦悩や喜び…それを、淡々と、みせてくれる。
この短い間にものすごいものがたくさん含まれているドキュメンタリーだと思う。ゆえになのか、映画としてはまとまっていないのかもしれないが、そんな事は当たり前のような気がする。何十年にも渡る歴史と苦悩とをこの何十分かにまとめることなんて、到底無理だろう。監督が、劇中で、“これはわたしのドキュメンタリーだ”と述べたのは、そういった気持ちがあるからではないだろうか。たくさんの要素がありすぎる。たくさんの思いかありすぎる。私だって、レビューなんてうまく書けない。要約するなんて、おこがましいのだ。

この映画は2012年のもの。それから4年……調べてみたところ、演目がずいぶん変わったらしい…… ときもかくにも、私はどうにかして、大寅興行社の見世物小屋を、きちんとこの目で見なければ‼‼ 誰しもが興味のある異世界へと入り込みたい…… そして、素晴らしいドキュメンタリーを見れたことに感謝したい。
MikiMickle

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