麩菓子

私の男の麩菓子のネタバレレビュー・内容・結末

私の男(2013年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

同キャストで撮り直して欲しいと悔しくなりました。

二階堂ふみも浅野忠信も原作の腐野花と淳悟まんまでした。びっくりするくらい小説から飛び出してきたんじゃないかというくらいイメージ・質感・温度感がピッタリでそこは嬉しかったです。
何よりも二階堂ふみの演技があまりに上手すぎて、この映画を観る価値は彼女の演技を観るために集約されてしまっているのでは、と思うほど。浅野忠信は歳を重ねても大して変化が無いだけに、二階堂ふみが中学生、高校生、社会人を完璧に演じ分けているのは、物語の時間経過を表す重要な役目を担っています。元々大好きな女優さんだったけども、あまりに圧巻でした。

さて、役者の演技は最高なんですけども、肝心の脚本と演出が…これは無いなという様相でした。
まず、原作から改変した箇所の意味が分からない。証拠品をカメラから花のメガネに変えた意味も、彼氏と婚約者を別の人に変えた意味もさっぱり分からないのです。改変が全く正しく機能していない。
また、濡れ場が多いだけで2人の精神的な異常性が正しく伝わりにくい。
例えば、原作からカットされた要素で言えば、殺した刑事を押入れの中に隠したまま何年も普通に暮らすんですよ、刑務所からすぐ近くのアパートで。花が結婚後に家に戻ると、死体も淳悟もいなく、もぬけの殻なんです。物凄い愛ですよ。
他にも、ラストシーンで赤い女物の傘を差す淳悟が映りますが、あれ平然と盗んだ傘なんですよ。そういう2人なんです。

原作だと、近親相姦という禁忌な行為なのに、それをただ汚らわしいものとしてではなく、愛しさと虚しさが入り交じるような、悲しい悲しい2人なりの愛情に胸が詰まる思いがするんです。2人ともただひたすら落ちる一方で、行き着く先に世間一般でいう平穏や幸福なんて絶対に無いのに、それでも2人にとってはこれで幸せだ、という残酷さ。それがなんだか方向性がズレた解釈で映画化されてしまっていることがとても悲しかったです。役者が完璧なだけに余計。
原作は現在から過去に時間が巻き戻る流れで話が進むので、最後に2人の出会いを読むことになるのですが、だからこそ得られる読後のカタルシスは絶品。
ストーリーは同じものの原作と映画は別物として捉えた方がいいくらいの出来ですね。
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