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ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンの15のレビュー・感想・評価

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見れた〜

 監督自身が内容もスタイルもフェミニスト映画だと考えるべきと述べているように、「フェミニスト映画」だったと思う。この映画を映画館で多くの人と共に見ていることを不思議に感じた。ローレティスが「女性映画再考」の中で「同一化のすべての接点(キャラクター、イメージ、カメラ)を女性、女性的なもの、またフェミニストと限定している」と論じていたこととマルヴィが「視覚的快楽と物語映画」で指摘していたことを考えると、今まで私が映画館で見てきた映画は全面的にではないにせよ完全に閉じられた物語世界を観客が覗き見るという形式で、「男性」が観客として想定されて作られおり(無意識にせよ)、だから『ジャンヌ・ディエルマン』のような映画をたくさんの人と見ている状況を不思議に思ったのかもしれない。ローレティスは「実際の観客の性別にかかわらず、観客を女性として話しかけている」とも言っていて、この部分は観客として想定されているのが「女性」ということを主張しているのはもちろん、「話しかけている」の部分は閉じられた物語世界ではないということも示しているのかなとも映画を見て思った。
 緑色のものがあちこちにあって印象的だった。色も置いてあるものも、置き方も、撮り方も、編集もかなりこだわっているなと感じた故に、キッチンの白い椅子が一脚の時もあれば二脚の時もあったことに、規則性や意味していることを見出せなかったことが悔しい。「画面を見る」ことも難しいのに、見たことを覚えておくということも難しいのだなと。キッチンのシーンの多くは入り口から撮られたショットなのに、急に反対から撮ったショットが来たときはドキリとしたし、ひき肉を捏ねているシーンはまだ捏ねるの?という感じで変なドキドキがあった。ラストを知っていたから届いた荷物を開けるためにはさみを寝室に持ち込んだときは、これもひとつの原因になるのかと思った。はさみを取る時に迷いがなく、素早かった。この映画、音もすごく印象的だったな。すべての動作に音が伴っていたのではないかな。ジャンヌをロングショットで撮っているときも彼女の足音が聞こえていたし、電気をつけたり消したりした時も音があったし。映画館のつくりに原因があると思うのだけど、前の人の頭で左端がちょっと見えなかった。
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