あずき最中

渇き。のあずき最中のレビュー・感想・評価

渇き。(2013年製作の映画)
1.0
原作未読。

エログロバイオレンス系は苦手だが、気になっている俳優さんが出演していたので、意を決して視聴。

個人的な感情を抜きにすると、豪華俳優陣が感情を爆発させて演じている姿をたくさん見れるので、ある意味贅沢な気分にひたれる映画。

※カットの切り替えがわかりづらいという声もあるけど、画面に「3years ago 」とか出てるので、個人的にはそこまで困りはしなかった。

ストーリーや展開については、かなり短絡的な印象。かな子がしていたことは序盤で明らかになってしまうので、ミステリ的な面白さは少ない。

このストーリーのキモは、
①他者の本性とは?
②他者とのコミュニケーション
あたりにあるかと推測されるので、かるく順に整理してみようと思う。

①他者の本性とは?
作中では「かな子は俺の子だ」とか「あの子の何を知ってるの?」といった、他者のパーソナリティーをめぐる言葉が繰り返される。

これらのセリフを聞いていて、この作品の登場人物は他人に対して、「この人はこういう人(この人はこうあるべき)」という意識がとても強いように感じた。
「ボク」にいたっては、「かな子はこの世でもっともきれいな存在。彼女を知りたい」という気持ちが引き金になって、えらい目に遭ってしまうし。

でも、実際のところ、人間は複数の顔を持っていて、状況によって色々な性格がのぞく生き物のはず。

それこそ、役所広司が演じる主人公・藤島は、ずーっとぶれずにバイオレンスで、視聴者からしたら「クズな父親」として見える。でも、藤島も元警察官なわけで、どこかにまともな面があるのではと思われてならない。

誰かのことを100%理解するなんて血が繋がっていようと不可能なわけで、かな子に魅了されて、彼女に対してそれぞれの理想を押し付けて、正体をつかもうと翻弄されまくる人物たちがひどく滑稽に思えてしまった。
......ので、大人を含め、登場人物が幼稚に感じてしまったのも、視聴に苦痛を感じた要因かも。

②他者とのコミュニケーション

監督の公式コメントによると、
「この映画の主人公は、暴力でしか人とつながれない」らしい。
はっきりいって、私はこの手の人間を心底軽蔑してしまう。
どんな人間でも、他人をなぐりたくなる衝動に駆られることはあって、それを理性で律している。
それを「俺は暴力でしか人とつながれないんで」と開き直られても......と思ってしまうのが正直なところ。


一方のかな子。
彼女は苦しむ表情も含めて相手のすべてを把握しようとして、最終的に死にいたるまでコントロールする。
家庭で「自分を理解してもらえない=愛されていない」経験をしてしまったせいなのか、彼女の涼しげな顔のうらには「他人のすべてを把握したい」という執念がかくれているように見える。

でも、①でも書いたように、他者を100%理解するなんておこがましいことで、理解してよ!と押し付けるのも見苦しいことでしかない。

この映画のコピーは「愛する娘は、バケモノでした。」。
でも、「愛すること」が相手を100%把握することではなく、見えない部分を許容することならば、そもそも「愛する娘」なんてハナからいなかったよなとさえ感じる。

●蛇足とまとめ
・若手女優陣がみんな美しい&かわいくて、眼福。
・「ボク」のモノローグは、瑞々しくてそれこそ渇きをうるおしてくれるイメージ(清水くん、なんともいえんきれーな顔だなと改めて思った)。
だからこそ、パーティ以降は本当に精神的にきつかったけど......。

・後半の藤島は、同じようなセリフばかり繰り返してて、後半のアクションシーンはなんだか笑えてしまった。慣れってこわい!

テーマ自体は良かったし、俳優陣もめちゃくちゃ良かったのに、「エロ、グロ、バイオレンス」でゴテゴテの味付けにされてしまって、陳腐な映画になり下がってしまったのがもったいなかった。
気は進まないけど、原作を読んで、作者の思いを知りたいとすら思うレベル。
これ系の映画って、ほんと読みとくのが難しいなあ。
あずき最中

あずき最中