多数決という「多数決主義」正当化プロセスには純粋さが欠けており、「偏見とか嫌悪感とか嫉妬とか恨みとか自己顕示欲とか」正義感とか、そのような人間元来の性質が少なからず作用しています良くも悪くも。
さて、昨今の邦画では「○○だ〜れだゲーム」流行っています。本作について言えば、もっとも理不尽ではあるものの、秘めたるテーマはあまりに重たい。
監禁された男女には予め「人狼」か「村人」かの役割を手札で与えられ、一日一回投票する。そして「正当化」された「人狼」は「村人」に殺される。また「村人」は「人狼」に密かに殺される。どちらか一方殲滅で達成。でなければみんな死ぬ。
この見極め作業ですが、何の根拠もない心理戦。『ダンガンロンパ』のように殺人犯を「人狼」として選別するのではありません。
偏見だのなんだのって、現実世界にも当然居座って、まるで「常識」のように振る舞います。国会においても然程変わらない。
ここが肝で、罪なき主人公の言動ひとつひとつに「常識操作」された選別根拠がある(根拠のない根拠)。
つまり、まず「(直感的に・生理的に)こいつ怪しい、人狼だな」と決め付けた上で、正当化プロセスを構築していく。「常識」で以て仮結論から原因へとアクセスしていく。
この一見すると逆では?と思いたい「多数決主義」の一側面は確かにあると私は、考えます。もはやゲームではない。
主演の桜庭ななみさんの演技を始めて拝見し、感銘を受けました。演技らしくなく、台詞が聞き取れない場面も。感情が演技を超越していた気がします。本作では重要な要素だろうと。
また、登場人物キャストの棲み分けが巧みでした。