TaroYamada

ドン・ジョンのTaroYamadaのレビュー・感想・評価

ドン・ジョン(2013年製作の映画)
3.0
ハリウッドで仕事する事は、常にパブリックイメージと闘い、時には乗っかり、時には破壊して次に進む事の連続なのだと思う

今をときめくジョセフ・ゴードン=レヴィットの監督主演作品、そして初監督作品でもある
変に力んだり、声高にメッセージを語る事無く、描くのはポルノ狂いのヤリチン男の話、ジョセフ・ゴードンに凡ゆるイメージを抱くファンの想像を覆す驚愕の処女作である

ニューヨークのお隣、ニュージャージーに住む(日本で言うならR16沿い辺り?)、
イケメンマッチョマイルドヤンキーのリア充ヤリチン君が毎日取っ替え引っ替え女とヤりまくっても、
満たされる事なく真のパートナーはポルノ(AVですな)で、ナンパしてお持ち帰りした後でも最後はネタでひと抜きしないと収まらない、頭と生殖器が直結してる様な男
そんな男が妄想も敵わない理想の女、見た目ウルトラビッチなスカーレット・ヨハンソンと出会うものの、今までの日々欲望の赴くままのやり方が通用する相手では無く、全てにおいて相手に翻弄されるまま過ごして行くが…という展開に

妄想が止まらず欲望に繋がる主人公の姿は「モテキ」の藤本幸世を思い出させるが、あちらは極限まで妄想は実現させる事の無い欲求不満型、こちらは常に発散させている健全型では有るが、まだ見えぬ頂きを常に追い求めている

90分のランタイムの中で前半は見世物として、ジョセフ・ゴードンの欲望やSJのビッチな見た目を晒し続けている、SJの姿は男の妄想を具現化した姿、SEXに対して独りよがりなジョセフ・ゴードンの合わせ鏡とも言える
互いに相手を思いやる事無く自らの思いを相手にぶつけるだけの存在、それはSJのパブリックイメージとも重なる、それを破壊する訳でも無く、徹底的にセルフパロディとも思える姿を演じるのもまたハリウッドで生きる術なのかなと考えさせられる

そして後半はジュリアン・ムーアの登場で雰囲気は一変する
自らのSEXに疑問を感じ始めるジョセフ・ゴードン、ポルノこそ至高のSEXと考えていたが、それは独りよがりでしか無く、人と人の関わり方の形によってSEXが本来の型として浮かび上がる
最後は語りたいテーマが前面に出て来て駆け足になる感じは有るが、前半の徹底的な見世物を見せられているだけにその対比を見せる切り口は新鮮に思える

ジョセフ・ゴードン=レヴィットは初監督作品の気負いも無く、いきなり三大欲望の一つ、性を取り上げ、しかしながら重くなる事も無く徹底的にエンタテインメントに描いているのは素晴らしい
またスカーレット・ヨハンソン、ジュリアン・ムーアもタブーに臆する事無く、ポルノスター紛いの姿や心病みマリファナに縋る姿を演じるのも、役柄に対してのタブーは無いのかと感心させられる