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野のなななのかのSHOHEIのレビュー・感想・評価

野のなななのか(2014年製作の映画)
3.8
北海道芦別市。開業医だった鈴木光男は80代で医者を引退したのち、古物を収集した「星降る文化堂」を営むようになる。そして男が95歳で亡くなるとそれぞれ別々に暮らしていた親戚たちは葬儀のため芦別に戻ってくる。光男の医院で働いていた清水信子もその葬儀に同席。やがて彼ら彼女らは思い出話の中で光男の過去を遡り、戦争の記憶に触れる。

大林宣彦「戦争三部作」の2作目。芦別を映画のまちにしようと市職員の鈴木評詞が93年から「芦別映画学校」を開いたのが始まり。大林は同イベントの校長を務めていた。97年に鈴木が亡くなり、大林はその献辞を込めてこの映画を2014年に公開。前作『長岡花火物語』が異常な熱量を帯びた作品で独特な作りだっただけにそれ以上のものが出てくるのかと思っていたら、今作も度肝を抜く代物だった。登場人物の数、セリフの量、時系列の演出に加減がなくただただ圧倒的。モノローグやダイアローグメインだが語りはかしこまった小説的な表現で、なおかつやり取りも微妙に噛み合っていない。また途中途中こちらに語りかけてくるようなカメラ目線の演技は舞台的。とにかく3時間近く翻弄されっぱなし。そもそもタイトルも読みにくいし何の事だか最初は分からない。「なななのか」とは「七×七日」で「四十九日」を指す言葉らしい。で、「四十九日」は人間が一生を遂げ、次の転生先が決まるまでの期間。まだ現世に留まっているあいだのことでもある。生者と死者が共存する非日常的な現実を描いてきた大林監督の変わらない世界観がここにある。監督自身も2010年に心臓の病で倒れ生死の境をさまよった。インタビューでは、あの時自分が生かされたのは「震災や戦争といった経験を後世に伝えるよう神様から言われたような気がした」と語り、また震災については「日本の在り方を見直すチャンスのように感じた」とも語っている。本作劇中の登場人物たちもそれは同様で、亡くなった光男の戦争体験や震災への理解を通じてより良い日本へ再生していこうというポジティブなメッセージがエンディングで花開く。「14時46分(東日本大震災発生時刻)」で止まっていた時計の針が動き出すクライマックスは、震災だけでなく過去の戦争といった未曾有の悲劇からの人々の再出発を意味。光男は戦争で悲劇的な死別体験し、芦別に戻ってきてからは医者として人の生き死にに関わる仕事に携わるようになった。そしてそれを引退してからは古物=風化されつつある文化を残そうと古物商「星降る文化堂」を営み始める。彼の亡き後、孫たちは文化堂を未来に遺すため関わっていくことを決意する。大林監督の父親も代々医者の家系だったが、映画という文化の世界に身を置いた監督自身の姿とも重なるような気がする。そして光男の人生におけるキーパーソンは戦時中に出会った綾野と呼ばれる少女。彼女が現代に生きる清水信子とどのような関係性にあるかが明かされるクライマックスは難解だった物語が途端に氷解。断片的だった物語のキーワードが一気に繋がり感動が押し寄せる。エンドロールでは芦別の絶景とパスカルズの牧歌的な楽曲が合わさってこの世の景色とは思えないよう。メッセージも映像も、ここまで計算して作品を作っているのだから大林作品は凄まじい。
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