ベティー

プリズナーズのベティーのレビュー・感想・評価

プリズナーズ(2013年製作の映画)
4.2
子供の誘拐事件という嫌な話。
「複製された男」がおもしろかった同監督というわけでハードル上がった状態で観たが、裏切らないですね。
行方不明の娘を探す父親の行動が中心。人間は自分が愛する人ためにどれだけ残酷で反社会的になれるのかという、かなりきわどいテーマを感じました。
人が日常を平穏に過ごすためには、属する集団の社会的ルールを遵守することが必要不可欠で、例えば人の物を盗んではいけないとか、殺人はいけませんとか、そういったルールって法律的に定められている以前に社会性ですよね。つまり集団で生活する際のデメリットである争いを極力避けるための決め事を私は遵守します、という意思や価値観だと。いつもやる側ならいいけど、いつやられるかわからないリスクを負うのは危険だから最低限度の禁止事項を設けましょうというわけですね。そのルールをはみ出す人はあぶないからでていってくださいと、つまり投獄される。そういった社会性を定義したのが法律であり、物語的な手法で定義しているのが宗教で、世界的に圧倒的シェアを持つのがキリスト教だと思うのです。
この映画は、そんなことはとりたて意識せずとも社会性と個人のバランスがとれている日常から、突然の異常事態でそのバランスがくずれてしまう男の状況を非常に生っぽく描いてます。娘の失踪、浮かび上がる極めて疑わしいが物的証拠はない容疑者、かつ人手不足で状況をフォローしきれない警察という構図。極めて危険な状況。
父親の男性は、警察が手を出せない以上自分で手を汚すという選択、つまり個人的な拷問で容疑者に口を割らせようとするわけですが、これで彼は完全に反社会的存在となってしまう。しかし、冷静に考えると、娘を救うために極めて疑わしい男を捕まえて個人的に拷問するというのは非常に有効な手段ですよね。でも社会性というか、安全な社会の維持として考えると絶対に許してはいけない行為なのはあきらかで、客観性もなにもないし、いつ自分が逆の立場になるかわからないし、冤罪で負の連鎖となるのは目に見えているわけで。社会と個人の利益の対立構造というような状況ですが、彼のような行動をとるか否か、これはものすごい難題の問いかけですね。ルールというのは非日常的な緊急事態においては、かならずしも個人の利益とは一致しないってことで、これはいざ自分がそうなってみないとどちらの側に立つのか、わからないだろうし、実感っていうのは難しいんでしょうね。
やはり事件の調査と同様に容疑者の保護というのは安全な社会の維持のためには欠かせないんだろうな、人員的な問題はまああるでしょうが。最後の方の、母親の刑事に対する言葉が非常に印象的。善とか犯罪者とか悪とか結局相対的というか語る人の視点次第なのかなとも感じますね。個人としてみるか社会的にみるかで大きく印象が変わりそう。不気味な雰囲気といい、重苦しいテーマといい見応え十分でした。
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