Fu11s

インサイド・ヘッドのFu11sのレビュー・感想・評価

インサイド・ヘッド(2015年製作の映画)
4.1
最初のドリカムは絶対いらないです。
短編は毎回楽しみなので今回も見れて良かった。なんか気持ちいい一本。
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ここから本作

吹き替え版良かったです。特にヨロコビの竹内結子さんとビンボンの佐藤二朗さんが良い。この2つのキャラクターが絡むシーンは素敵です。
「ヨロコビ」という感情がライリーの幼少期の妄想の友達(ビンボン)にもう一度触れ合うという展開が良い。そしてその時に「カナシミ」が横にいるというピクサーの変わらずの奥深さに感心。そしてビンボンの最後の行動に涙が止まらなかった。。。

が故に、ビンボンという存在に多少の疑問が残る。
主人公ライリーは11歳の女の子。これから思春期に入っていくといったところが作品の終盤でも説明される。
この年頃の人間の《感情》と《記憶》にキャラクターを持たせ、物語として展開していくというとんでもなく難しいことにチャレンジしているのが本作。そして人間の《感情》と《記憶》がどのようにして【人格】や【行動】を決めて行くのかというのを観客に丁寧に理解させながら物語を展開させていくという振り返ってみるとベラボーに複雑な作品。
だからこそ、所々納得(満足という表現のが良いのか)しきれない部分もある。それがビンボンという存在の有無です。

ビンボンはそもそもライリーの幼少期に生まれた空想の存在である。そのビンボンの存在が「潜在意識」の中での格納ではなく、初めから「ヨロコビ」と「カナシミ」を手助けするという意味合いで登場していることにも疑問が残ります。そして個人的に大号泣したあのシーンでの、ビンボンの行動と存在の消失がその後語られるわけでなく終わってしまうといったところが私は謎なのです。そこまで丁寧に語られてきた人間の《感情》と《記憶》の数々の存在意義と処理の有無がビンボンというキャラクターを通して一番丁寧に描かないと伝わらないところが薄いため、ただビンボンという《記憶》が消えてしまったという悲しい印象しか残らなくなります。
願わくばビンボンというキャラクターは最後は「潜在意識」への格納、もしくは消えたと思ったらまたひょっこり出てきた(記憶の消失ではなく一時的に消えていた)という演出をした方が良かったのではないかなと思っています。
私には「我々人間が幼少期などに作り出した空想の存在(この映画の中ではビンボン)はいつしか記憶から無くなる。それは成長していくのに必要ではないからだ。」と正面切って言われている気がしてなりません。例えそういうものだとしてもビンボンという魅力的なキャラクターを作ってくれたのだからこそ、どこか救いがあって欲しかったと思います。

とは言えピクサーでなければここまで心揺さぶられることはなかったのかなぁとつくずくピクサー愛が深まりました。色んな人々(犬も猫も)の頭の中の感情会議が見れたのも良かった。人によって感情の中心が変わってくるのも「なるほどなぁ」となる一方、バスの運転手は皆イカリというハイセンスで爆笑。そして男の子とメッシュの女の子の若者特有の悩むがあってめちゃ面白かった。これならライリーの思春期のお話も見てみたい。
ライリーの感情達も1つの出来事に対し感情が混じり合うということが普通なんだということを理解出来て、これからもライリーを見守り続けていくのだなぁというところで物語は終了。大変見事な着地だと思います。
あわよくば脚本にもうひと頑張りしてくれればピクサーの中でも1、2位を争う作品になれたと個人的には思います。
一度見ただけでは分からない、たくさんのこだわりが詰まった作品だと思うのでこれからも一生見て行く映画の1本となりました。ありがとうピクサー。
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