田中登監督の、そして日活ロマンポルノ・シリーズの傑作。
文学や映画の題材に、「聖なる娼婦」と呼ばれるような女性が登場することがありますね。例を挙げれば、『罪と罰』のソーニャでしょうか。本作の芹明香扮する娼婦をそんな一人に当てはめる意見もありますが、彼女の場合はもうちょっと違うのではないでしょうか。
彼女にとってのSEXは、食事をしたり、排便をしたりするのと同じように、生理現象や日常生活の一つであって、それ以上でも以下でもないのでしょう。あっけらかんと誰とでも寝て、「その世界」の仁義を破ったとリンチを受けてもへとも感じないバイタリティ。
それはひとえに、舞台となっている大阪西成地区の猥雑さ――犯罪者から娼婦まですべてを受け入れてしまう無法地帯すれすれの土地柄と、登場してくる例えばコンドームの再使用を生業とする素人だか役者だか判別できない、妙にリアルな住人たちの存在が大きな影響を与えていると思います。蔑視するのではなく、この街ではそれが「特別」なことではないからです。
だからこそ、他の青春映画の多くが、故郷の閉塞感から逃れて、故郷を捨てるところで終わるのに対し、村田英雄の「王将」フルコーラスが大音響で流れる中、飛べない鶏を通天閣から放つ白痴の弟と、その自死に、自分はけっしてこの街から出て行けないこと、この街で暮らしていくしかない決意というか、諦観というか、みずからの将来を暗示させるラストがあるのでしょう。