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6才のボクが、大人になるまで。のkwskのレビュー・感想・評価

5.0
TOHOシネマズ川崎で。

12年間同じ対象を撮り続けるということは、割と誰でも思い付くし簡単にできること。それこそホームムービーのように。

リンクレイターは「ビフォアシリーズ」が始まる前からこの映画を製作していた。それはこの映画と他作品を往復していたことを示し、厳密にこの12年間は分断されている。映画の構造もチャプター的にみると、どの映画よりも明らかであり、明確な断絶がある。
しかし、この映画の圧倒的な持続感はなんだろう。僕らは3時間しか彼らに接していないのに、あたかも12年間を共にしたように感じてしまう。そしてその後の人生を見守ってあげたくなる。
なぜだろう。そこには時間を糧とする家族物語だけでない、他の作用があるのではないか。

一つは、同じ人間だからだ。背丈も髪型も環境も移り行くメイソン。歳を経る度に顔のつくりも変わっていくが、彼がメイソンと呼ばれたり、メイソン特有の禿げた眉頭を始めとした不変の細部が、画面の彼がメイソンであることを保証してくれる。
一つは、時代の描写。くたびれたドラゴンボールのタオルケット。ゲームボーイアドバンスがXboxになり、ガラケーがiPhoneになり、デジ一眼カメラが表れる。オバマの台頭もある。私も知っている時間の推移がメイソンの周囲できらめいている。

一つは、これが卓越しているのだが、彼らに近寄り過ぎず、離れ過ぎないこと。彼らに対して機械的にに常に等距離をとっているわけではない。むしろふらふらとしている。ただ、肉薄し過ぎない慎ましさがある。それはドラマチックに描写しないということでもある。彼らは、僕らの手から離れていても生きている自律性を持っているのだ。それを可能にするのは、リンクレイターがとった彼らとの適切な距離感故である。画の構図もキマらなくてもピンボケしてても構わない。彼らを殺さず活かすことが最上の手法だ。

…それにしても、メイソン君は生き生きとした人生を送っているなぁ。この先もめげずに頑張ってほしいと心から思った。僕もがんばろう。。
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