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聖杯たちの騎士のmOjakoのネタバレレビュー・内容・結末

聖杯たちの騎士(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

テレンス・マリック新作という事で毎回そうですが難解、そして明快なストーリーラインはなし。

ただ一貫した作家性のようなものは確実にあって今回も共通してると思います。超ざっくり言えば、家族とか恋人とか仕事とかそういった普通の暮らし=小さな話に対して、それとは一見何の関係もないと我々は思っている宇宙だ科学だ神だ宗教だと言うような大きな話との対比だったり関連性だったりの考察みたいな感じですかね。画面に映るほとんどは抽象的だったり象徴的だったりするし常にダブルミーングとして読み取りが必要なので退屈だというのも大いに分かります(実際今回も序盤の退廃的な描写が長くて正直飽きた)が、毎回見終わってみると何か残る映画なのも確かです。

今回の一応のお話はハリウッドで成功したけど迷いを抱えるイケメン脚本家が6人の女性との交流を経て生まれ変わっていく。ただしそれぞれの女性達は彼の内的な心情等何らかを象徴していて、それはあたかも聖地を巡礼するかのような通過儀礼的な意味合いを持つんじゃないかなと。
主人公が抱える葛藤というのは恐らく夢を持って努力をして脚本家になった主人公が欲にまみれ享楽的な生活を送る現状に対して本当に俺の人生これでいいのかというようなもの。新たなに舞い込んだ脚本の仕事は今まで以上にメジャーな作品であるという事が彼が岐路に立たされていることを示します。このまま大金を貰い良い女を抱き雇われ仕事をするか、あるいはこの成功を捨てても自分の本来書きたかったような作品を書くか。彼が出逢う女性達は一見これとは何の関係もない様で恐らく彼の中の迷いや悩みや憧れといった事を象徴している。特にやはり大きい存在なのは元妻のケイト・ブランシェットと本当に大切な存在になりかけるナタリー・ポートマン。元妻が象徴するのは彼にとって理想であったはずの女性でそれが今はどんなに頑張っても元には戻らないという喪失や後悔でしょうか。彼女の仕事が主人公とは対照的に本当の意味で人の役に立ち人を助ける医師であるという設定が秀逸だなぁと思って、だからこそ彼は彼女に惹かれたのかもしれない。一方ナタリー・ポートマンが象徴するのは言葉にすると馬鹿っぽいけど愛そのものかなと思いました。6人の女性はそれぞれに主人公にとって他の遊び相手の女とは何か一線を画す魅力があって、それゆえ主人公は何か特別な結びつきみたいなものを感じている。最終的にはこの特別な結びつきこそが人生の価値であることに気付き主人公は成長する話だと思ったんですが、ナタリー・ポートマンが体現するのは理由は特に説明されないけどこの人が愛おしいという主人公の愛情かなと。ここまで来てようやく脚本家としての主人公の選択と女性達との関係がぼんやり解るんですが、つまり何かの作り手として本当に意味のあることが書けるとしたら主人公が6人の女性達に感じた様な特別な感情=愛情でも信頼でも後悔でも何かを作品に刻みつけることではないかと。しかしそこまでの気付きを主人公は得たけれども結局ナタリー・ポートマンとの関係は上手くいかない。それは享楽か夢かの選択とは全く違う次元にある家族だ夫婦だ子供だというような現実が立ち上がってくるから、というのも真理かなと思いました。

最終的な結論は限りなく開かれてると思ってて、主人公は全く別の女性と一緒になるんですがその女性が彼にとって特別な結びつきを感じる女性かそれともただの享楽に戻ったが故の選択かは明示されません。彼女の顔は映されずただ若くてセクシーな女を射止めたとも見えるけど、ハリウッドとは距離を置いたようにも見えるし。
ただこれも1つの個人的な拡大解釈ですし、本当の意味はテレンス・マリック以外わからないと思うのでね。。その点は悪しからず。フリーダ・ピントやイモージェン・プーツなど旬な女優も沢山出てるしルベツキの撮影も相変わらず素晴らしいのでそれだけでもオススメです。
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