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あの日の声を探してのりのレビュー・感想・評価

あの日の声を探して(2014年製作の映画)
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第二次チェチェン戦争(日本では「紛争」と表記するが英語では[2nd Chechen War]とはっきり表現されてる)で離ればなれになったきょうだいと、チェチェン共和国との国境付近のロシアの町に派遣されたEU職員をめぐる物語。
冒頭のシーンは、今ウクライナで起きている事態と大きな違いは何もない。
無意味な殺人、略奪、レイプ。そしてそれらの黙認、狂乱。

ある日ギターを背負い、友人と路上でジョイントを吸っていたロシア人の青年は、腐敗した警察に突如連行され、おまえが刑務所に行きたくないなら、と脅しをかけられ、前線に送られた。この若者を、不幸な戦争に染まってしまった、かつては無辜だった、被害者とも言えるような一般人であるというようにロマンティサイズドされていたように感じられたのが、ドラマツルギーとして必要だったのかもしれないが、僕には不快だった。
「戦争という罪」の以前に、彼は非常に環境に流されやすく、ただ自然と戦争犯罪者になったんだと思った。
ロシアが生まれた場所でも、体制から逃げて国外に行くことはできるし、そうしている人も大勢いる。

「チェチェン独立派テロリストとの闘い」という、プーチンの謳い文句は、現在口癖である「ウクライナの非ナチ化」と同じく、有名無実のスローガンでしかない。

2000年、チェチェンでは、ロシアにお金をもらっているカディロフ大統領が不正に当選し、チェチェン領内にロシアの傀儡国家が作られ(そう、まさにこれはドネツク、ルガンスク人民共和国と全く同じ手法だ)およそ9年かけて、そこを本拠にロシア軍はチェチェン共和国をロシア連邦に併合した。チェチェン兵士はテロリストではなくてロシア軍と傀儡国家に抵抗していた。
結果、1/4のチェチェン人が死んだ。繰り返しになるけど死んだチェチェン人は全体の4人に1人だ。学校も、病院も、スーパーも、アパートも民間施設は無差別にぶっ壊され続けた。テロリストへの攻撃のために??

この物語は、チェチェンの首都グロズヌイが占領された、1999-2000年にかけてを舞台にした映画だ。
それから14年後、プーチンは、(より大規模な国土と人々を巻き込んで)、まったく同じことをウクライナのクリミア半島を併合して、開始した。
そして侵攻は、この映画で描かれた時代より23年経った今も、(規模が甚大になりながら)続いている。
この人間がサイコパスの独裁者でなければ、では政治家なのだろうか?

3日前、31発のミサイルと34機の自爆機が、ウクライナ人である僕の婚約者の地元に、降ってきた。
かなり少なく見積もって6万トンの穀物が焼けた。
ロシアが、ウクライナの領土に勝手に作ったクリミア橋を、ウクライナが戦略上破壊したことによる、報復行動だという。このプーチンという人間と、ロシア政府は、旧ソ連邦だったが現在は独立を勝ち取った国々に対する干渉や非人道的な行いを何十年もやめようとしない。

キャロルのスピーチでの「なぜ、これほど多くの人が無関心でいられるのか?」
という言葉が胸に刺さった。ロシアという狂った国がどうしてか列記とした文明国のような顔をよそえていた理由は、西側以外に対する僕たちの無関心のおかげだ。
そういうものだよ、仕方ないよ。私も戦争が起こるまではいまほど深く考えていなかった。と僕の婚約者は言っていた。

キャロルがハジを引き取るという帰結は、ハッピーエンディングのようでもあった。しかし、ハジの母は死んだし、ハジの父は目がつぶれて発狂した。弟をロシア人じゃない家庭の軒先に捨て置いた。
ハジはそのときの記憶と経験からは一生逃れられないだろう。それを受け入れたうえでハジと家族になったキャロルの決断は勇敢で素敵だった。

ただ忘れたくないのは冒頭のシーンのようなことはプーチン、ロシア政府によって今日も行われているし、それは決して映画じゃない。それは現実だから、「あの日の声を探して」のように、救いや出口があるという約束はない。
レビューとはそれるけど、チェチェンは、ロシアが沢山の人を殺して奪った土地だということを忘れてほしくない。そしてこんな悪辣がまかり通らぬように、いまウクライナを応援するべきだと思う。
り