ぞら

レゴ(R)ニンジャゴー ザ・ムービーのぞらのレビュー・感想・評価

2.0
なんだろう…?

主人公とその父・悪の親玉の心の動きが丁寧に描かれているし、画面の作り込みはずっと観ていられるほど美しい!
『ものの見方を変える』が終始テーマになっており、きっと相手の気持ちになってわかり合うことの大切さを伝えたいのだろうということもわかる
ストーリーも飽きさせないよう、バトル・修行・メカ・友情などなど…エンタメ全て詰め込んでるし、マイナス要素なんて何一つないように感じるのに観終わった後は「うーーーーん(・ω・`)」
なぜなんだ…


ここから自分整理用






まず主人公の立場がかわいそう過ぎて…
お母さんも心が大切といいつつ、環境の厳しい場に放り出して「きっと大丈夫👌」って何?「父を恥じる必要がない」って言い続けるのはどうして?
息子のために親玉の元を去ったって…
お母さんが親玉を倒そうとは思わなかったのか…?

あと親玉自身が自分の息子だとか公表してないのにバレてるのはなんで?
記者達も親玉の動向は追うのに息子の動向はお座なりだし、同じ悪の親玉の家族だというのに叔父さんはなぜ師匠として仰がれるのか?

『悪の親玉の息子とバレている』のに
『謎の忍者としてバレずに戦ってる』にチグハグを感じてしまうのだ
もちろん、ヒーローの正体不明の良さや、普段迫害されている主人公が忍者でいるときだけは皆んなからヒーローとして感謝される模様を制作陣が描きたかったのは分かる
がそこまで複雑にしなくても良かったのではなかろうか?

悪の親玉の息子とバレているからこそ父をとめるために忍者として活動していて、街の人もそれを知ってるからこそ無下に追い出せないまでも負の感情を捨て切れないから映画中の迫害に至る
そして毎度毎度、街を巻き込んでの大喧嘩の様になってしまう
親玉の方も息子に無関心ではなく、「俺の息子なのにおれの世界征服の邪魔をするなら、息子と認めない!」とずっと突っぱねていたがとうとう「あんたが父親じゃなきゃ良かった」と言われて自分がどうしてかその言葉が引っかかっていることに気づき、修行の森について行く
〜あと映画と同じ〜

ならもう少しストーリーが頭に入ってきてたかも…
ぞら

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