層構造は連続性のほつれなのだろう。
トリアーは、実に巧妙にプロモートを仕掛けた。それまでのフィルモグラフィーを踏まえず、センセーショナルに吊られて辿り着いた者たちを、一見突き放す。
それは学問もセラピーも解釈も充分には役立たない、生き様なのであると主張しているようだ。
近道のあの場所に、また倒れ込む。
黄金の心ばかりでは眩しすぎだろう。
多分美しい光景が詰め込んであるに違いない他の作品を観るのが必然になる。
二つの三部作が完結したのかどうかはどうでもいいのだろう。しかし、次作の期待もさせてくれる。吹っ切れて舞い戻る場所は、何処。