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沈黙ーサイレンスーのH4Y4T0のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.7
遠藤周作の名作文学『沈黙』を原作に、17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて製作された歴史ドラマ映画。
江戸時代初期の「長崎」を物語の軸となる舞台に置いたと聞き、先に原作の方から済ませてしまおうかと思ったがここは敢えて前知識無しでの鑑賞に挑むことに。
大の黒澤明ファンでもあるマーティン・スコセッシ監督が「28年間」もかけて思いしたためた日本の歴史をどう描くのか、また持ち前の手法をどう活かし再現するのかを自身の目で確認したかった。
多数の日本人俳優が出演すると発覚した際には懸念が残ったが、本作での重要な役割を担う必要不可欠な存在として各々が素晴らしい熱演を見せてくれた。
本作でハリウッド・デビューを果たした小松菜奈嬢の演技は必見。
早くもメイキング映像が見られる日が待ち遠しい。

日本でのキリスト教の布教が現代にまで語り継がれていることは周知の事実だが「思想の違い」が遠い過去に生まれ、迫害を受けていたとなると黙って見過ごすわけにはいかない。
我々の想像と理解の範疇を越え、行き着く先の「表舞台」を空虚な心で鑑賞することをある種の使命の様にも感じた。
故に今回はどんな”スコセッシワールド”を披露してくれるのかと半ば軽い気持ちで鑑賞に赴いた事が災いしたのか、想像以上のショッキングな内容に思わず面食らってしまった。
重い…重すぎる、正直侮っていた。
暗く冷たい”日本の闇”を垣間見た。ただひたすらに淀みきった重厚な世界観の中で描き出されるストーリーそのものに先ず圧倒された。まさか鑑賞後に自身の身に『沈黙』が訪れようとは思ってもみなかったが、ダウナーな気分に苛まれながらも言葉や映像では上手く説明することのできない情感が確実に胸の奥へと伝わって来る感覚に陥った。

本作を大きく色分けするならば「隠れキリシタン」と「神の沈黙」この2つのワードが重要なポイントとなってくる。
異国の地より持ち込まれた宗教が何故弾圧されるまでに至ったのか、その経緯を紐解いていく上で日本独自の文化と排他的な思想が窺える。
大本を辿れば受け入れた側の社会理念が発足される度に諸外国に対する「畏れ」へと繋がっているようにも見えるが、海外間での貿易や親交が横行していた時代では互いを敵視することも視野に入れておかねば自国を破滅させられかねない。慎重さと繊細さが売りの日本にとっては真っ当な言い分でも、他国にとっては仇となったが為の「不可抗力」に過ぎない。
今となっては「脅威」から程遠い概念だが、自国の責任を国民の手によって拭わせる世の中の仕組みは現代社会とさほど変わりない。沈黙が続く深い真っ暗闇の中へと葬り去ることによって淘汰され続けてきたのだろう。

「神の沈黙」それ即ち「神の俯瞰」
「棄教」と称するそれはあまりにも惨く、想像していたよりもずっと残酷なものだった。
通辞(浅野忠信)がロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)に「悩むことはない“転ぶ”のだ」と語るシーンは印象深い。
スコセッシ監督特有の生々しくリアルな暴力描写と冴え渡る映像感覚が更に拍車をかける。
フェレイラ神父・ロドリゴ神父・ガルぺ神父、それぞれが打ち立てた誓いは決して無駄な行為ではなかったと頷ける圧巻のラスト。
物語の真意がここでようやく見えてくるのだが、窪塚洋介演じるキチジローの存在がかなり大きい。まるで誰しもが踏み出せずにいた覚悟や勇気を体現したかのような「平和の象徴」としてそこに君臨したのでは、と個人的に思う。
やはり真相を語るには原作も読まないと駄目だな…。
1971年に公開された日本映画版も気になるところ。
音楽は一切流れず、静けさと哀調が漂う寂しげな世界観の中熱く展開される「人間ドラマ」を色濃く鮮明に映し出すスコセッシ監督のセンスに脱帽。
また静寂とは対照に、圧倒的なスケールで描く壮大な物語との対比に誰もが驚愕し心を鷲掴みにされることだろう。
激情に塗れた混沌の渦中に飲み込まれたが最後、自然と涙が頬を伝う。
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