キリシタン弾圧ばかりが強調されて、沈黙の先にある司祭の気付きが表現されてなかったような気がした
原作ではラストが一番いいのにね。
自身もクリスチャンである遠藤周作が伝えたかったことは、信仰に対する答えは自分で出すべきであり、沈黙を守る神に対していつまでも待ち続けていても何も解決しないということ。
なので踏み絵や、神への背教文も形骸的な物でしかあらずロドリゴは棄教した後も死ぬまで躊躇なく行えた。
布教しにきた司祭たちはその本質を、布教した土地の殉教者たちの犠牲によって知ることが出来た
この意味を映画を見た普通の日本人が、理解することが出来るだろうか
マーティンスコセッシ監督は誰のために魅せた映画だったのだろう..