だいき

沈黙ーサイレンスーのだいきのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.9
2017年公開映画18本目。

LAUDATE EUM(讃えよ、主を)。

「主よ、何故あなたは黙ったままなのですか。」
このロドリゴ神父の問いに対する神からの返答はない。
そもそも宗教は、崇めている神の言葉を借りた人たちを介して教えを授かる。
いつだって神は沈黙している。
いくら神頼みをしても、自分の元だけに何かが返ってくることなんてない。

しかし教えを乞う人間たちは、自らの行動を選択しなければならない。
それこそが「神の答え」ではないのか。
常に神は「沈黙」し、常に「語る」。
「沈黙」とはただの無音ではなく、「沈黙」という「声」を示しているように感じた。

鎖国、踏み絵、島原の乱など、日本の歴史にキリスト教がどう関わったのかは周知である。
しかし転んだ者、即ち「棄教者」たちと、迫害していた者たちのことは一切学ばない。
本作で描かれていることはあくまでフィクションであるが、400年前はノンフィクションだった。

スコセッシが原作を読んでから28年もの歳月、想いを馳せ続け、ついにそれを形にした本作は自然の音しか聞こえてこない静謐さの中に、観ている者を沈黙させるほどの凄みが存在していた。
追い続けてきたテーマの最重要部分とスコセッシ自身が答えているように、原作を忠実に再現しているリスペクトが感じられる作品だった。

宗教に限らず、自らの信義を想い続ける、守り続けることがいかに美しく、いかに難しいことか。
現代に通じるだけでなく、目まぐるしく変化し、様々な立場に立たされる今だからこそ公開されるべきである。
神は一時も「沈黙」していない。
「沈黙」しているのは人間だ。

神が授けた数ある行為の一つと気付いていないだけで。
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