Tomo

雨の日は会えない、晴れた日は君を想うのTomoのレビュー・感想・評価

4.3
好きですね〜この映画。女性は受け付けない気もしますけど。

ジェイク・ギレンホール演じる主人公ディヴィスは、突然の妻の死に涙も出ず、本当は妻を愛してなかったのでは?と違和感を感じ自己嫌悪に陥る。そして自分の殻を壊しながら本当の自分と向き合うことになるが....という感じの話。

まず「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」という邦題に、ふざけんな!と言いたい。妻が残したメモに近い和訳ではあるが、これではこの映画の本質を捉えていない。ただでさえメタファーを多用して難解な作品なのに、違った解釈を脳にインプットしてしまう最悪のタイトルです。

原題は「Demolition(破壊、解体)」です。主人公が自らの問題を破壊、解体することにより、本当の自分と向き合うとあうことで、ストーリーの核心を突いてます。

もし妻が突然死んだら涙が出るのか?そして悲しみに暮れるのか?

実はこれ、突然質問されて、YESと即答できる人って、夫のうち半分もいないんじゃないんでしょうか?よく長年夫婦を続けていると、空気みたいな存在とかいって愛とかよく分からなくなってる。もちろん日本人特有の照れもあるでしょうが、多分質問に対して、どうなんだろう?と一呼吸置いてしまうのが実情ではないかと。そうしてみるとディヴィスの心情に多少なりとも感情移入して見ることができる気がします、というか、僕はそう見てしまいました。

妻が死んだ直後、自販機からお菓子が出なかったことが気になり、自販機会社に手紙を送る。まずこれがディヴィスが心の殻を壊し始めたきっかけ。気になるものの物質的解体を行うのと合わせ、自販機苦情のやりとりで出会うモレノとその子との間で心の中の解体作業を続けていく。

自分の殻を破ったと思ったのが一転、妻の衝撃の事実を知ることに。そして自責の念からディヴィスは涙する。やはりバッドエンドです。

とにかくメタファーが多様されている為、僕の解釈があってるのかどうかは疑問です。妻の浮気はディヴィスが妻に無関心だったからであり、本当は妻からディヴィスへ様々なシグナルを出していたはず。妻はそんな無反応な夫に対し、付箋でコメントを残すが、それは妻が自分に関心を持ってほしいという痛烈なメッセージだったのだろう。そして妻の死をもって初めてディヴィスは妻を愛していたことを感じことになり、後悔から涙したのではないだろうか。

解釈は一通りではない気がします。もう1回見ればまた解釈も変わると思います。そんな皮肉めいたストーリーでした。

本作もジェイク・ギレンホールの怪演がキレキレでした。こういう掴み所のない、ある意味糞野郎な役は本当見せてくれます。そして長年好きなナオミ・ワッツもやはりいい演技でした。
Tomo

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