Nagi

涙するまで、生きるのNagiのレビュー・感想・評価

涙するまで、生きる(2014年製作の映画)
4.0
砂漠の真ん中で、遊牧民たちに読み書きを教える小さな学校を営むダリュはある日、村で殺人を犯したアラブの男モハメドをタンギーの街へ連れて行くことを頼まれる。図らずもダンギーへの旅を共に歩むダリュとモハメドだが、中途、村人の追手、ゲリラ抗争に巻き込まれるなど命がけの旅となる。そんな中、寡黙なダリュと信心深いモハメドの間に絆が生まれていく。

以下少しネタバレ⚠︎

ストーリーとしては大きな起伏もなく、淡々と進んでいきます。しかしその中には、カミュの生の哲学の要素がふんだん織り込まれている。例えば、モハメドは麦を盗んだいとこを殺害したが、その時の貧困の中では麦を盗まれることは家族皆が飢え死にすることを意味していた。いとこの死にあたって、"血の償い"を払うことができなかった為報復を狙われたモハメドは、逃げれば弟が狙われ、自分が死ねば弟が報復として自分を殺した者を殺さねばならないという所謂負の連鎖に巻き込まれる状況で、それを断ち切ろうとフランス人に逮捕され、タンギーの街で処刑されることを選ぶわけだが、道中ダリュはそんなモハメドを見逃そうと、逃げろ、逃げれば自由だと解放しようとすると、モハメドは自由にはなりたくない。できない。という。この究極状況では自由というものは寧ろ残酷なのだ。最善は自分が処刑されることであるというふうになってしまう。しかし、この状況を人間の人生に当てはめると、人間は生まれた瞬間から死へ向かわねばならない。つまり処刑に向かう旅を歩まねばならない。そして、実存主義の基本テーゼ"実存は本質に先立つ"。つまり進むべき道やあるべき姿など本質は、存在しない。人間は偶然この世に生まれ落ち(=まず実存して)、強制的な自由の中で(=自由の刑に処せられて)、自らの道を選び取っていかねばならない(=主体による選択)。そしてその場合自由はとても不安なものなのだ。

カミュ原作の本作は、殺伐した砂漠においてあらわになる人間存在の苦悩を浮き彫りにする。そして同時に、"生きろ!"という静かながらに情熱的なカミュの声が聞こえてくるようだ。

"お前もこうなりたいか?"
"今生きていることを喜べ!"
"生きろ!"
Nagi

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