寂しさを埋めたいのは
たくさんの情報の中で失った
自分自身が見つからないから。
寂しさが埋まらないのは
たくさんのやり取りの中に
本音があるのか分からないから。
寂しさだけが積もるのは
すり減らした心が
知っている最後の感情だから。
情報があって
簡単にやり取りできるツールがあって
肉体は散らばって、
どこか分からない空中を生きる時代。
いつの時代だって、変節の中もがき
人々は生きたのだろうけれど
きっと今の世は今の世で
すごく生きにくい。
健全に生きにくい。
寂しさを共有してもきっと
寂しさは埋まらなくて
ほんのささいな日常の共有が、
ある日、肉体に温度を与えるのだと思う。