なおぶみ

セッションのなおぶみのレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
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指導者と教え子の関係において、『この人に認められたい』という気持ちは『支配されたい』という思いに変わりやすい。指導者を満足させることに躍起になり、隷属的になってしまうから。

序盤の終わり、アンドリューはフレッチャーに認められ自己肯定感を得るが、誰かに依存した自尊心なんて容易に崩れ去る。
フレッチャーの意向一つで居場所なんてなくなる。
アンドリュー自身が狂気に満ちた特訓を重ね、自分自身で居場所を掴み取ろうとするのは誇りを得るためだ。自負心を得るためだ。そして自分が自分になる過程では人は孤独に陥らなければいけない。依って立つものは自分自身でしかないと認める必要があるから。

アンドリューとフレッチャーは最後、全く同等の立場に立つ。フレッチャーに取り込まれない、一人のジャズマンとして、アンドリューはフレッチャーと対峙する。だからこそラストの『セッション』が可能になるんだ。

あのままライブ会場を後にしてたら、一生挫折しか自慢できない負け犬になる。
なおぶみ

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