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はじまりへの旅のsTAのレビュー・感想・評価

はじまりへの旅(2016年製作の映画)
4.5
映画を観る意味

何のために映画を観るのか。個人的な大きな理由のひとつは、様々な価値観を学ぶためだと思っている。
映画の中で「同じ事柄を対象としていても、こういう考え方もあるけど、一方でこういう考え方もある」とかやっているのを観て、自分とは異なる考え方があるということをまず知る。そういった事を少しずつ学んでいくことで、より豊かな感情や考え方で、より豊かに生きていけると思っている。
そういう価値観の多様性みたいなものを隠されたテーマとしている作品は数多いが、これはもうドストレートにぶつけてきた。対比・対立、価値観、色々な事柄の多様性のオンパレード。

生活が豊かになるにつれて、みんなが成功を求めて結局同じ様な人生を歩んでいこうと必死になっている現代に疑問を持ち、一切の事柄に縛られずに本当に我流で生きる術を学んでいくという考え方の一家。
それに対して、現代の社会で普通に生きている義理家族たちは、当然反発するし、子供たちが可哀そうだという。
そんな彼らの子供はというと、典型的なゲーム大好きな悪ガキ。一方、当の一家は一見野蛮な家族だが、分野に捕らわれずにあらゆることを学んでいて、それに対して自分で考察する力も養っている。はたして義理家族たちに、彼らの生き方を否定する権利はあるのか。
母親のことにしてもそう。遺言で自らが望んていることは明示しているが、義理家族たちは勝手に「普通」という枠にはめようとする。それは亡くなった人の意思を無視することだし、荒らしに来た様に見られる当の家族は、ただただ大好きな母親の望むようにしてあげたいだけ、救ってあげたいだけなんだという、至極真っ当な言い分。
でも、やはり行き過ぎるとダメになるのが物事で、これだけ偏った父親の元で育っても、その生き方に疑問を持つ子供も居るし、結局本だけでは学べないこともある、学校や社会に飛び込んでみたいという自分の考えを皮肉にもしっかり持ち始める子供も居る。母親を助けようとしても、法には勝てないし子供たちを置いてはいけない。
そんな中ある事件をきっかけに、全て間違いだったと、やり過ぎたと気付く父親。
これが子供たちのためなんだと、現代の社会に子供たちを授ける事を決心するが、子供たちは子供たちで、自分でちゃんと考えて、巣立っていったり、父親についていったり。父親もそんな子供たち一人ひとりの考えを尊重して、好きなようにさせてあげる。自分は自分を貫くだけ。


この価値観のぶつけあいの筋書きは、こういうことを考えたことあるなら予想できるが、とても自然だし、それを1つ1つ順番に丁寧に見せてくれて無理がない。
お互いの考え方を学んで、最終的には、お互いは自分の信じる様にやれば良いというのは当たり前。だが難しいことでもある。やり過ぎて相手を侵害してしまうのは良くないし、相手に自分のやり方を強要してしまうのも良くない。子供たちに対しても同じで、自分たちでどうしたいかを選ばせてあげる。こんな風に終わるべき物語だった。そして、まさにこんな風に終わってくれた。

何かに偏ってしまいながらも、それとは反するものとで価値観のぶつかり合いを繰り返しながら、人類はここまで発展してきたんだと、かなり壮大なことを思い浮かべてしまうが、あながち間違いではないと思う。
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