Tamamura

ネオン・デーモンのTamamuraのレビュー・感想・評価

ネオン・デーモン(2016年製作の映画)
4.3

硬め&長い文章なので冒頭に一言で。
監督の美意識がドンズバではない人間が見ても十二分に面白かったのでお勧めです。


映画冒頭のメイク室から終盤の水の張られたプールまで。執拗に繰り返される鏡(反射)のモチーフが象徴するように、この映画の軸になっているのはラカンの鏡像段階論だと思う。人間が自己を認識をするには現実界・象徴界・想像界という3つの世界がありまして…以下略。この論自体は様々な映画でみることができるが、ネオンデーモンの特筆すべき面白さは、そこに主体のすり替えを持ち込んだことだろう。


以下ネタバレ


エル・ファニング演じるモデル志望のジェシー。生まれもったルックスを武器にトントン拍子に夢を実現していく。そんなシンデレラストーリーは、終盤まで脇役として描かれていた他のモデル達による惨殺で幕を降ろす。ここで思い出すのは、アビー・リー演じるサラがオーディションの後にトイレで鏡を割ったシーンだ。自己認識と外部評価に悩むサラこそがイニシエーションを受けるべき物語の裏の主役であり、葛藤のないジェシーは他者の欲望の鏡でしかない。という主題が浮き上がる。

映画中盤にモーテルの部屋に闖入した山猫は殺戮の館では剥製のヒョウに姿を変える。美しくなり中身を失なうのである。感情的なモーテルの主人(象徴界 = 言葉の世界)から、鏡(現実界 = 認識しちゃうとまずい世界)を愛するネクロフィリアのメイクアップアーティストのもとに身を寄せた時がジェシー(想像界 = イメージの世界)の終わりの始まり。そう考えると、この話の精密な悪趣味さに感嘆する。

「俺はこの件から学んで欲しいんだ」キアヌ・リーブスがいった言葉は嘘じゃない。ラカンの言葉でいえば「罪があると言い得る唯一のことは、欲望に関して譲歩することである」ということだろう。

鏡の中にいることか。鏡の中を夢見ることか。鏡そのものをめでることか。
ネオンデーモンは誰なのか。
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