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Toutes nos enviesのukigumo09のレビュー・感想・評価

Toutes nos envies(2011年製作の映画)
3.4
本作は『マドモワゼル(2001)』『灯台守の恋(2004)』等のフィリップ・リオレ監督の2011年の映画。他のリオレ作品では、前作の『君を想って海をゆく(2009)』が数年前日本でも劇場公開されて話題になった。イラクのクルディスタンからやって来た不法移民のクルド人の少年は、恋人が移住したイギリスに行きたいのだが、その手段がなく(トラックの積荷に忍び込むも失敗)、海を泳いで渡る決意をする。離婚調停中の中年の水泳インストラクター(ヴァンサン・ランドン)と出会い、次第に絆を深めながら水泳の特訓を受ける。そしてドーバー海峡を泳いで渡るために海へと入っていく。不法移民というデリケートな問題を描いた悲劇でありながら、その眼差しのあたたかさが印象的で、監督の懐の深さを感じさせるような作品であった。『WELCOME』という原題が本編の終わった後に出てくるというのも、色々考えさせられる。

『Toutes nos envies』でも前作に引き続いてヴァンサン・ランドンが出演している。主演は判事クレアを演じるマリー・ジラン。二児の母である若い判事クレアは日々、様々な案件をこなしているが、その日被告としてやって来たのは不当な借金を背負ったセリーヌというシングルマザーで、クレアとセリーヌはママ友であった。借金は一万八千ユーロほどになっていてセリーヌの収入では非常に厳しい状況だ。そこでクレアは先輩判事ステファンの助けを借りながら解決策を考える。
このプロットはある種の弱者に対する、周りの人間のあたたかいサポートという前作に似た構造でリオレ的だと言えるかもしれない。しかし本作ではクレアも大きな問題を抱えている。仕事の合間にもトイレで嘔吐するほど体調が悪く、病院に行くと脳腫瘍の一種の膠芽腫(こうがしゅ)と診断される。入院してきちんと治療をしても1年持たないと聞かされた彼女は、特別な治療をすることなく、病気の事は家族や仲間にも秘密にして、現在抱えているセリーヌの件に注力するというのだ。つまりこの作品は、余命数ヶ月の主人公が病気を隠しながら、命を賭して他者のために尽力するという難病ものの映画なのだ。
クレアは家族のいない部屋で、インターネットで自分の病名を検索する。「徐々に脳の機能が低下し、最終的には臓器が停止する」という文言を見つける。当然医師からも説明はあったが、パソコンの画面で活字として見るとまた違った衝撃がある。しかし家族にも打ち明けるつもりがないので感情を表に出さないように懸命に堪えている。
夫が庭に桜の木を植えていて、来年にはブラックチェリーが食べられるようになると言うので、子供たちは大はしゃぎだけれど、クレアは実ができる頃には自分はこの世にいないと知っている。

裁判は紆余曲折あって、CJCE(欧州司法裁判所)という日本人にはイメージしづらい裁判制度を利用しようと計画する中で、クレアとステファンの関係は次第に親密なものとなっていく。クレアはステファンを幼い頃家族でよく訪れた湖に連れて行き、11月だというのに突然下着姿になって泳ぎだす。水の中から、「浮橋まで泳ごう」とステファンを誘い、ステファンもパンツ一丁になって一緒に泳ぐのだ。あくまでもプラトニックではあるけれど仕事のパートナーであった2人が、下着姿で戯れる関係になっている。そして浮橋から陸に泳いで戻る際に、クレアは体が動かなくなってステファンに助けられる。車で向かった病院は、いつもクレアが通院している病院だったので、ここで初めて病気のことがステファンに知られてしまうのだ。病気の事が知られても、このままセリーヌの件を続けたいと言うクレアの意思を尊重し、ステファンは医師に、自分はクレアの父だと嘘をついて退院させる。
ステファンは、その後も家族には病気のことを明かすことなく仕事を続けるクレアを自分がコーチを務めるラグビーチームの試合に誘い、ベンチで観戦してもらう。ステファンも仕事以外の部分をクレアに見せたかったのだ。

観ている誰もが想像するようなラストへと進んでいくのだけれど、秘密を共有したり嘘をついたりしながら、借金に苦しむセリーヌを守り、金融業界の不正を暴こうとする2人の正義への共犯関係は、ステファンのもう1つの優しい嘘で暖かく幕を閉じるだろう。
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