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ラン・オールナイトのねこたすのレビュー・感想・評価

ラン・オールナイト(2015年製作の映画)
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いきなり瀕死のリーアム・ニーソンが横たわっている。
悪夢から目覚めてもその後悔が消えることは無い。
その16時間前から物語は始まる。

酒に溺れるリーアム・ニーソン演じる主人公ジミー。若造にお金の無心をすることで境遇がうかがえる。
その若造ダニーと父ショーンも何だか上手くいっていないようである。
場面変わって、ジムでボクシングをしている若者は父の存在を無かったことのように扱う。

広いNYの街をまるでグーグルアースのように飛び回る演出は、あくまで繋がっている狭い世界での話をしているようだ。

まさに無関係なジミーの息子マイクは事件に巻き込まれ、マフィア組織に狙われることになってしまう。

ジミーもショーンもマフィアだが、筋は通そうとする古いタイプのヤクザだ。その褒められない親の息子たち、マイクとダニー。二人の違いはなんだったのか。

ジミーは息子に影響を与えないため、ずっと離れて暮らしていた。それがまた別の歪みを生み出してしまうのだが…。
マイクがボクシングを教える子供たちは、父親のいない子供向けの教育プログラムを受けており、口にしないまでもコンプレックスが表れている。

ショーンも理屈では理解しようとするが、母の悲しんだ姿、そして父親として我慢できない。怒りをぶつけるように、何度もナイフで突き刺す。

ジミーと、ショーンやハーディング刑事との電話のやり取りがシビれる。一線で戦っている人間の、"分かっている"話し方がまたかっこいいのだ。
役柄としては96時間とそう相違はないのだが、また一味違った良さがある。

息子と逃げながら、親子はちゃんと向き合って話す。父親の思い、観ていてくれたこと。

追いかける殺し屋の、短いけど有能さが分かる演出。
警察が考えなしに追い出したから起こった参事も、外から見れば疑惑のある人間がやったように見える。
炎も、暗闇の中で光を灯し、なおかつアクションにも応用している。
監督のジャウマ・コレット=セラは、前作でもリーアム・ニーソンと組んでいたが、作家性がうかがえる。

息子には手を出させない。それは、手を汚した人間にしか分からない後悔があるからか。それは、近親者に手を下してしまったこと。自分たちで蒔いた種なのだが、息子は離れてしまう。

しかし、それで吹っ切れたのかジミーも一線を越えることを覚悟する。
若干あっけなくも感じるが、最近リーアム・ニーソンのイメージになってしまった「怒らせると怖い奴」感が発揮されていた。

操車場での決闘も、静寂の中敷石を踏みしめる音、銃声が無情にも響く。
親分子分の関係を超えて、二人は古い友人だった。握るその手が優しげ。

全てに決着をつけ、最後のわずかな時間に家族たちと過ごす時間のなんと穏やかなことか。祖父の顔を知らずに育ってしまったら可哀想だ。

短いが濃い時間を過ごす中で、マイクは父の影響を強く吸収する。「手口は知っている、任せろ」と親の口調そのままに話したり、あれだけ躊躇われた銃も、子供を守るためなら用いる。

瀕死ながら、それでも火事場の馬鹿力のごとく瞬間的に力を発揮するジミーは、父親であり続けようとした。

命が失われてしまっても、歪みが解消された親子の写真はとても幸せそうなのである。