KatsuyaImai

エンドレス・ポエトリーのKatsuyaImaiのレビュー・感想・評価

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
4.5
この映画に「映画はもっと自由であって良いのだ」と教えてもらった。
いわゆるアメリカ映画などの文法のしっかりした型にはまった映画(もちろんこれも素晴らしい事で、文法がしっかりあるからこそ表現できるものも沢山ある)に慣らされすぎているのを痛感。
仕事をするにあたってついつい、カットのつながり、セットのつながり、いかに現実味を帯びたデザインのセットを造るか、脚本の内容に沿ったデザインをするか、というようなことばかり考えてしまっていた。
ホドロフスキー監督は、映画はもっと自由に撮っても良いのだよ。と教えてくれる。この映画を演劇っぽいと思ってしまったのは感覚が麻痺しているから。セリフと脚本だけが感情を表現するのでは無い。言葉、理論を超えた映像の力は間違いなく存在する。

セットはセットに見えてはいけない。カメラを意識させてはいけない。監督、クルーは画に映ってはいけない。イマジナリーラインは超えてはいけない。これらは一体誰が決めたのか?もちろん基本的なことをしっかり守らないと伝えられないことは山ほどあるし、プロとしてはきちんとした物を作らなくてはいけない。でもそれを意識しすぎて映画の自由を奪ってはいけない。

これは彼が体験した自分自身の人生という”映画”の再映画化なのではないか。それを88歳の本人が監督している。当時を振り返り、自分自身に演出、助言しながら。
冒頭語り始めると、当時の町が“セット”として再現される。前作で登場人物たちがハリボテになったのも、“映画”であるから。
彼の表現は本当に自由で、彼が体験したこと、想像したこと、詩として創造したこと、その全てが平等に輝きをもって映像化されている。
KatsuyaImai

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