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リリーのすべてのumeshioのレビュー・感想・評価

リリーのすべて(2015年製作の映画)
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2018/03/23

こんなにも重い話とは思っていなかったから少しだけ面食らいつつ、泣けた。まぁ考えてみたらそりゃあ軽い話なわけはないんだけども。
リリーの立場にたっても、アイナーの立場にたってもゲルダの立場にたっても苦悩ばかり。自分のほんとうの気持ちと、相手のことを思うがゆえの気持ち。そのジレンマが観ていてとても辛かった。
ゲルダがアイナーを求めている気持ちがわかるからこそ、リリーは辛かっただろう。といってゲルダのためにほんとうの自分を押し殺して偽って生きていくのは まぁそれも愛とも言えるかもしれないけれど、本人が辛いのならやっぱり間違っていると思うし。
愛する人がいるということ。それはとてもとても幸せなことだ。だけど、大切な人がいるから、そのせいで、そのおかげで、無理をして自分の生き方を変えるのはやっぱりおかしい。想われている方も、自分のせいで苦しみが続いていると思うとキツイと思うし。
愛する人の存在と自分の生き方は別物。
前にミー・ビフォア・ユー(映画だと世界一キライなあなたに)という本を読んだんだけど、中江有里さんの解説がそういうことをとても的確に書いてらっしゃったので抜粋する。

『この物語の素晴らしいところは、恋愛と生き方を一緒にしないところだ。恋愛は素晴らしいものだ。愛し愛される相手がいることは至上の喜びで幸せだ。しかしそれは人生の一瞬のことであって、結果的に人はひとりで生きていく。どんなに愛していても二人はひとりにはならない。ひとりとひとりが並んでいるだけなのだ。たとえ愛する人に寄り添うことが出来たとしても、それだけを支えにして生きていくのを、本当に生きていると言えるのか?この物語は何度もそう問いかけてくる。』

この映画も同じようなことじゃないかなと思う。アイナーはゲルダを愛している。リリーはゲルダを愛している。でもリリーは自分であるアイナーを愛してはいないし、自分が女ではなく男であるということ にずっと違和感があって、それが悩みで、生きていくのがつらい。アイナーで生きていくのに苦痛を感じる。その苦痛を、ゲルダは想像はできるにしろ完璧にはわかることはできない。ゲルダはリリー(アイナー)ではないから。だからリリーの孤独さ、辛さはリリーだけのもので、ひとりの問題で、ゲルダという理解者がいるからといってその問題が無くなることは絶対にない。悲しいけれど、わたしはそう思う。
ゲルダのことを愛しているから、ゲルダだけを支えにしてアイナーとして生きていこう、というのは本当の自分を殺すことだし、確かにそれって 「生きている」と言えるのか。大切なひとが出来ると、素晴らしいことがたくさんある。それこそ大切なひとの存在のおかげで、「ほんとうに生きている!」と思えることがたくさんある。だけどもしかしたら、大切なひとがいるからこそ、「ほんとうに生きている」と思えなくなってしまうこともあるんじゃないかなあと思った。愛の弊害というか。

愛しているから我慢する、それも愛だとは思う。だけどそれをされている側だとしたら、やっぱりちょっと悲しいよね。わたしが我慢や辛い思いをさせている、と思ってしまって。愛しているからこそ、相手のことを思いやる。思いやって自分を殺す。結局どちらかが一部の感情を殺さなくてはいけないんだろうなあ。愛ってなんなんだろう。愛は多様なんだよな。

結局ゲルダがリリーのことを思いやって、異性としての愛を捨てた。愛しているからこそ、受け入れて自分の気持ちを犠牲にする。観ていてとてもつらかった。アイナーひとり手術に向かう前の汽車のシーンの、アイナーとしての最後のキスがとてもかなしくて。ゲルダの気持ちを思うと居た堪れない。

きっとリリーにとってとても幸せな終わり方なんだろうなと思った。その手術のせいで命を終えたとしても、あの数分なのか数時間なのかわからないけど、はっきりとほんとうの自分を取り戻せた。だからきっと、これはものすごく険しい道を乗り越えた人の、ハッピーエンドな人生なんだ。


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