原作は小池真理子の『二重生活』
岸善幸の初監督作品 門脇麦の単独初主演作品とな
かなり久しぶりに邦画を観た
やぁ、重く濃すぎた
門脇麦演じる珠が他人(石坂)の生活を理由なき「尾行」する
観客もまたスクリーンを通して珠の生活を理由なき「尾行」しているんだろう
入れ子の「二重」構造 ラストの珠と初めて目が合ってドキッとしてしまった
私たちもまた映画や小説のフィクションを通して他人の人生を追体験(=尾行)して感動することはあるけれど、それが現実に影響を与えていることなんかないんじゃないか。
それでもフィクションの価値を信じたい。
以下脈略のないメモ書き程度です
○対象者と干渉してはいけないルール
これはソフィカルの著書に書いてあるのかな。物語のただ傍観者である限り、傷つけられはしない、けれど...
○登場人物それぞれの職も効いていた
・「編集者」である石坂が珠とホテルで会話するシーン、石坂の言葉はメタ的であった?
「陳腐だな、お前の物語。少しも面白くない。」
この言葉、映画全体にもかかっていないか
(珠は石坂を尾行して他人事のように面白いと言っていたな
石坂が女性作家から原稿を受け取る際、感情移入にこだわっていた
2章を削除は、原作の珠の恋人側の不倫の削除と同じ匂い
・教授の妻役を「演じ」ていた女性
教授の母親が亡くなって泣いている姿を見る教授の表情よ、
そして教授はその虚に想う
・哲学科
珠は哲学科の修士2年、にしては少し稚拙な印象
論文にあったように主体の実存の話ならば、映画自体が問いかけであって観客は皆哲学することになるのだろうか