COZY922

この世界の片隅にのCOZY922のレビュー・感想・評価

この世界の片隅に(2016年製作の映画)
4.3
【それでも生きている。それでも生きていく】

どこか日本昔話を彷彿とさせる、素朴でのんびりとした水彩画のようなタッチの優しい絵。その絵の持つ印象そのままの、ぼーっとしていて周りをほのぼのとした空気に染める主人公すず。 前半の拍子抜けするほど緩い空気は、戦争を扱った映画だということが信じられないくらいだ。野に咲くタンポポ、青い海の間を駆けてゆく白うさぎのような波の形、季節の野草を炊き込んだ温かそうなご飯、質素ながら楽しげな日々の食卓。田舎の平凡な暮らしが確かにそこにあった。

だが、こういう日常を容赦無く襲い、愛おしいものを奪うのが戦争。ほのぼのとした画風の中に米軍機の爆弾の雨が降る。これまでに観た作品の空襲のシーンというと、逃げ惑う人々の目線か、上空での空中戦(敵機に対するパイロット目線)が多かった気がする。そのせいか、本作の、爆弾が町に向かって落下していくのを上空から見下ろすかのような映像には ハッとして 心がひどく乱れた。あと何秒後かに確実に地上に落ちる弾。あの和やかな暮らしが この塊に壊されてしまう。。俯瞰的な視線は なんて残酷なんだろうとその時思った。

日付けについても同じことが言える。映画の序盤から、すずの人生の節目や記憶に残る出来事のたびに表記されてきた年月が、昭和19年から徐々に短いピッチに変わってゆく。◯月X日。空襲を知らせるサイレンの回数や空爆による被害。刻一刻とその日が迫る。「昭和20年8月6日」に何が起こったかを知っている私達日本人にとって特別な意味を持ち、最も残酷なカウントダウンだ。

重くて辛いことは すずの身の上にも起きてしまう。明るくおっとりとした” 天然 ” なすずと 彼女が引き起こす笑いが微笑ましく、戦時中でも柔らかく逞しく生きる彼女が眩しく、彼女にすっかり魅せられていただけに、すずを襲う終盤の場面にはアッと声を上げそうになった。愛する人と重ねた手のぬくもりや、着物をモンペに仕立てたこと、大好きな絵を描いた日々。失くしたものを記憶に重ねるところは 哀しいというよりも茫然としてしまった。それでも その後も毎日は当たり前のように続いていくのだ。生きることに丁寧に向き合う彼女達のしなやかな強さ。それに比べて環境的にずっと恵まれているはずの現代に生きる自分はなんて弱いんだろうか。戦争の悲惨さを再認識すると共に、自分が日々悩んだり頭を抱えていることがとてもちっぽけなことに思えた。

前半はほのぼの、後半は息を呑んで観ていたせいで 感情が せき止められていたのだろうか? それまで出なかった涙がエンドロールが始まった途端に 溢れてきた。わずか70年前にあった 戦争という現実。風化させずに受け継いでいかなくてはと 強く思った。犠牲になった人々はもちろんのこと、あの時代を生き抜いて『今』を私達にもたらしてくれた人々のためにも。
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