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殿、利息でござる!のshowのネタバレレビュー・内容・結末

殿、利息でござる!(2016年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

■自己犠牲という名の罠
この映画に出てくる人たちは全員多かれ少なかれ自己犠牲の精神をもったいい人たちである。そして、この話は「史実」だという。だから、昔の日本人は「無私」である。そんな「無私」の人びとの過去に触れて、感動させられる。そんな話である。

でも、まずこの話が「史実」と言っていいかどうかに、ひっかかりを感じる。話は、吉岡宿の龍泉院で住職をしていた栄洲瑞芝という僧侶が書き残した「国恩記」がもとになっているそうだ。じゃあ、この「国恩記」以外の史料で、千両献上の逸話が検討されているのだろうか。ある記録を「史実」に近づけるためには、複数の史料による史料批判が不可欠である。そんなの、歴史学の基本の「キ」である。でも、いくつかの関連サイトをみてみると、「国恩記」に書かれているから「史実」だ、となっている。NDLで論文検索をしても、「国恩記」を学術的に検討した論文はないようだ。だから、これ本当の話なの?と疑問符がついてしまう。

じゃあ史実かどうかはどうでもよくて、架空の話として感動する話だからいいじゃないか、と言われるかもしれない。でも、仙台藩が千両の献上を認めたのは、藩が他の町や村に対し吉岡宿の例を持ち出して「吉岡宿のように自己犠牲で金を出せ」というための方便だったかもしれない。

だいたい、不当な負担を押しつけられたのに、自己犠牲でそれを解決しようとするのはどうなんだ。身分制というシステムのほうがおかしいのだから、それを問題視すべきだろう。映画の前半では、助郷の不当さが出てきているのだけど、結局自己犠牲で話が回収されてしまって、助郷の不当さはいっさい解消されない。人びとが苦しむ問題の根本から目を逸らしているように思われてならなかった。
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