Angiii

シン・エヴァンゲリオン劇場版のAngiiiのレビュー・感想・評価

5.0
ー生きることとはなにか。
そして愛とは、希望とは。

【ヱヴァンゲリヲン新劇場版】、もとい【新世紀 エヴァンゲリオン(Neon Genesis EVANGELION)】はこのシンプルかつ深淵なテーマをその名の通り『旧約聖書:創世記』でなぞらえた、傑作巨編寓話である。

碇シンジ等を始め、人類存亡の危機という瀬戸際に立たされた人間たちの決死の生き様、人と人との交わり、そして生まれは消える感情と命そのものをここまで鮮烈に切り込んだ作品はそうそうないだろう。

この作品の魅力は幾多もあるが、特に憎いところはあらゆる人間が生きてゆくうえで必ず経験するであろう喜怒哀楽の機微の描き方が本当に上手い所にある。14歳という妙、自己のもつ相反する役割から生まれる葛藤。登場人物の数ほど作品を眺める視点と角度が存在する。


これは誰かが言っていたのだが、

【旧劇が『絶望』に焦点を置いているならば新劇は『希望』である。】

本当にそうだと思う。仮アヤナミが農村で少しずつ感情を学んでいくシーンが重点的に描かれているのも、その中で妊婦や赤ちゃんという存在が目立つのも、そして、加持さんとミサトさんの子供が登場するのも、"次世代につなぐ希望"としての象徴なのではないか。

語りたいポイントが無限にあるので大変悩ましいのだが、一番グッと来たのはなんと言ってもミサトさんの"母"としての目覚めだ。中学生に『大人のキスよ』とか言っちゃって死に際にカッコつける葛城ミサトはもう居ない(好きだけど)。そこに存在するのは例え愛する人間を失っても大切な我が子と人類のために果敢に立ち向かい守り、戦う強い"母親"としての葛城ミサトである。これ書いてるだけで泣きそう。ミサトさん、よく頑張ったよ、加持くんと幸せにね。


そして『生』というシンプルな命題に呼応するもうひとつテーマとしては『母体回帰』かもしれない。母体回帰とは人間が生を営む上で保持する普遍的な命題であり、我々の生は"母なる存在"を求め、そこへの回帰欲求に大きく依存している。

シンジやアスカには母がいない。
ゲンドウは唯一心の拠り所であるユイをなくした。

そして使徒の襲来という危機的状況の中で、各々が母体回帰願望故にもがき苦しみ、我々は(旧劇にて)幾多のトラウマを目の当たりにするわけだが、全てはこのシンエヴァで救済される。碇シンジが関わった魂(アダム含め)すべてを救済していくところで一体何人ものファンが救われただろう。ゲンドウも、よかったね。


題名に立ち返ると「エヴァンゲリオン(ευαγγέλιον)」とは【福音書】の意である。人類を超越した何かによってもたらされる災い、父との対立(旧劇、というか『Air/まごころを、君に』では父殺し)、母への回帰、魂の救済。命持つものが人生の旅路を歩む上での様々な苦難や懊悩、そして希望や幸福がすべて等身大の人間に落とし込まれている。この作品は、庵野監督とスタッフが幾年もかけてこの世に送り出した、『生きていくこと』への福音なのだろう。この作品に出会えてよかった。この優しく暖かい喪失感を一生忘れないと思う。

本当にお疲れ様でした。




(…って感じでさっぱり終わりたいんだけど、タイトルの【:||】っていう反復記号がどうしても気になっちゃうんだな。一体またどこに回帰するんだろう。)
Angiii

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