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無伴奏のHiRoのレビュー・感想・評価

無伴奏(2016年製作の映画)
3.0
パッヘルベルの『カノン』の三つの声部が同じ旋律を追唱するように、登場人物たちも異なるかのようにみえる人生の中で同じ旋律を追唱しているかのようだ。しかし、『カノン』は同時に終わるため最後がカットされる声部があるように、それぞれの人生も不可視にカットされている。
野間響子(成海璃子)は、高校生の制服廃止を訴えている。時代は安保闘争などで高揚していた学生運動の時代である。「ベルトコンベアに流された餌をいつまで食べ続けるのか」、野間響子(成海璃子)の仲間はアジ演説で叫ぶ。しかし、現代とは「流された餌を食べ続ける」ことはできない、むしろ一人一人が資本家なのだ(=人的資本)。
物語終盤、東京への進出を拒んでいた野間響子(成海璃子)は、東京へ進出する。そうだ、彼/彼女たちは安保闘争もベトナム戦争もどうだっていいのだ。高橋和巳も吉本隆明もマルクスの思想や理論も知らない。ただ、嵐の中に飛び込まなければ不安なのである。
堂本渉(池松壮亮)は言う、「人への愛がなくて革命なんて起こせるのかな」。クラシック音楽は、美しい伴奏と共に繊細な旋律を奏でるが、我々の人生とは無数の他者の伴奏もない「無伴奏」のようなものだ。
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