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さようならのmugihoのレビュー・感想・評価

さようなら(2015年製作の映画)
3.8

27.10.15

「死」がじわじわと迫ってくる、それなのに目の前に座っているのは死という概念がおそらくないであろうアンドロイド。近未来の日本では各地で原発が爆発して、日本人は世界中に難民となって散っている。避難をできる者は国から番号が呼ばれた人たちに限り、難民である主人公ターニャはひたすらその番号を待つ。だがしかし、死は思っているよりも彼女に近い。死にゆく国と自分の体と向き合いながら、彼女の唯一の話相手であるアンドロイドであるレオナと共に毎日時間という川を流されていく。二人の間には繋がりそうで繋がらない不思議な空間がある。死とは何か。人間ではなくてもどこまで美しさを認識できるのだろうか。どうせ死んでしまうのだったらどんな風に生きていけばいいのだろうか。そんな疑問をたくさん投げかけてくる作品だった。

ここ数年、アンドロイドやAIなどが注目されるようになってきた中、本物のアンドロイドを映画に登用するというとても興味深い試みだ。しかし同時にこれはとても近い未来なのではないかという風にも取れる。アンドロイドのレオナは詩を読み、ターニャの代わりに買い物に行き、ターニャと会話をし、それこそ一緒に住んでいるルームメイトといったところだろう。巧みに言語を操り瞬時に適応する。あまり違和感もなく、自然な流れがそこにある。しかし感情的な思い出や複雑な要素を含む会話になってくるとはいやいいえ以上の答えが出てこない。その壁に当たるとあぁやっぱりと思ってしまう。いくら人間に近くても人間とは根本的に違うものがあるんだろうなと実感してしまう。アンドロイドには心なんていうものはあるんだろうか。昔観た映画『AI』が頭から今までにずっと離れなかったように、彼らの存在は私たち人間の心をまでも見直させ、そしてそこに根をおろす。

レオナは美しいや悲しいなどの人間的な要素はオーナーであるターニャから学んでいったという。つまり二人で会話をしていても常にターニャは自分自身と対話をしていたということになる。そうするとじゃあアンドロイドの存在って何?と思わざる得ない。家事や買い物などの物理的な用途だけではなく、人間の対話することのできる存在となり得るのか。

この作品の魅力はテーマ性と映像美。今回の映画祭で観た作品の数々には本当に残酷なくらいの美しさの中に埋まっている生々しい現実という構図がとても顕著であった気がする。悲しくなるくらいに広大で寒々しい秋の高原にぽつんと佇む家がある。空の色が、部屋の明るさが、とてもゆっくりと、時間を惜しむように変化していく様子があってその時間の経過を一緒に体験していると心がだんだんその痛みと重さと美しさに蝕まれていくみたい。最後にあるものがとても長い時間をかけて変貌していく様子は作品の締めとしてインパクトがあって、この物語の本質的なものをついているような気がした。

死はあまりにも残酷で、そして人間の価値でもあるのだと思う。

東京国際映画祭
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