note

ハンズ・オブ・ストーンのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

ハンズ・オブ・ストーン(2016年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

パナマのスラム街で育ったロベルト・デュランは、ボクシングの才能を発揮して成長し、ボクサーとして頭角を表す。世界王者を数多く育てた名トレーナーのレイ・アーセルは、デュランのマネージャーの依頼を受ける。自分たちを捨てた父親の国アメリカを嫌うデュランは、不満ながらもレイの指導を受け、チャンピオンを目指す…。

ボクシング4階級制覇したパナマの英雄、ロベルト・デュランの伝記映画。
持論だが、ボクシング映画にハズレは少ない。
人生の全てをかけて、全てを持ち込んで、あの狭いリングの上で戦うからだ。
本作もハズレではない。
傑作とは言えないが、充分面白い佳作だ。

主人公はスラム育ちで学がなく、腕っぷし一つで成り上がりたいハングリー精神の持ち主。
そこは「あしたのジョー」や「ロッキー」と同じだが、いかんせん育ちが悪い。
根っからの短気ですぐにキレて、周りに当たり散らし、字も読めないくせに口から出る言葉が悪く、周囲を怒らせ、呆れさせる。
強さ以外は、ただのチンピラ。
デュランの個性は「レイジング・ブル」のジェイク・ラモッタに近い。
「まぁ、それくらいのエネルギーがないとチャンピオンにはなれないな…」と思わせるキャラクターだ。

あっという間に世界ライト級王者になり、順風満帆。
妻フェリシダードとの間に5人の子供をもうけながら快進撃を続けるデュランは、アメリカのアイドル的存在のシュガー・レイ・レナードと対戦することになる。

主人公が少年時代を過ごしたスラム街やパナマ運河の返還にまつわるニュースなど、ローカルな時代背景を見せる一方で、チャンピオンになって国民的英雄に上り詰め、転落すると一転して「お前はパナマの恥だ、クズだ」と、皆から責められるという浮き沈みをうまく見せている。

2階級上の無敗の王者、シュガー・レイ・レナードに挑戦してタイトルを奪取するところがクライマックスではなく、中盤。
その後にマネージャーがファイトマネーに目が眩み、無理矢理組んだリターンマッチでデュランは試合放棄をしてしまう。
ボクシングファンに今も語り継がれる “ノー・マス(もう、たくさんだ)事件”の真実が、なるほどと思わせる演出で描かれる。
試合中にパナマに対するアメリカの横暴とそのために貧しさを強いられていた少年時代をフラッシュバックさせ、チャンピオンになった今ですら嘲笑を浮かべる対戦相手やアメリカの観衆にデュランは「もう、たくさんだ」と思うのだ。
チャンピオンになっても尊敬すらされず、戦略とはいえ、まともに打ち合おうとしない相手に、自分はパナマという国と同様に馬鹿にされ、踊らされる道化だと感じたのだろう。
事実かどうかは不明だが、彼でなくてもそれまでの経緯(伏線)から「もう、(アメリカに人生を邪魔されるのは)たくさんだ」と言いたくなる。

パナマ国民だけでなく、家族や友人にも非難され、デュランは背負うモノの大きさにようやく気づく。
自分自身のために戦っていた男が、ようやく国や家族、恩人レイのために戦うのである。
自分のためではなく、他人のため、守るもののために戦う人間は強い。
ラストは誰もが「もう歳だから勝てないだろう」と踏んでいた復帰戦で勝利し、爽快感に包まれて終わる。

物語自体は、この手の題材にありがちな内容だが、食べるためにボクサーとなったデュランの生き方に、アメリカの支配下にあった当時のパナマ情勢をうまく絡めたことで実話の重みが増したと言える。

演技力の高い俳優陣と波瀾万丈なデュランの人生が本作の魅力。
しかし、どこか人間性が軽いのが難点。
チャンピオンになった途端に浮かれて浪費するデュラン。
それにタカる家族や周囲の人々の軽さなのかもしれない。
最初は清純そうだった妻も、次第に成金ビッチのような格好になっていく。
その軽さがラテンの気性なのかもしれないが。
地に足がついた生き方をしているのは、皮肉にもデュランが嫌うアメリカ人、ロバート・デ・ニーロ演じるレイくらいなもの。
栄枯盛衰の型にハマった脚本を脱却するまでには至ってはいないのも残念。

しかし、オリンピックで見るアスリート同様、国を背負う人間には確かな人間性も備わっていなくてはならないと教えてくれる作品である。
何かを目指す人間、何かを守る人間、何かを背負う人間は強くなれる。
非常に男らしい。単純に男らしい。
そんな作品である。
note

note