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20センチュリー・ウーマンのDolphinPaprikaのレビュー・感想・評価

20センチュリー・ウーマン(2016年製作の映画)
4.6
1979年のカリフォルニア州サンタバーバラを舞台に、当時の若者たちの流行歌であったパンク・ロックの楽曲(トーキング・ヘッズ!ノイ!ディーヴォ!)と共に、ある母子の絆を描いた本作『20センチュリー・ウーマン』ですが、私はこの映画の映像編集はかなり独特なように感じました。例えば、所々で再生速度を微妙に上げて人物の運動を早送りで見せたり、『スター・ウォーズ』のハイパー・ドライブのように走行する車に残像のプリズムを付け加えたり、静止画によるスライドショーを映画の中に効果的に挟んでいたりする。そういったことによって非常によいテンポで物語が語られていたように感じましたし、サウンド・トラックの有無に関わらず映像が常にどこか音楽的であるように感じました。そういった映像センスの中に若さのようなものを見たわけですが、監督のマイク・ミルズはすでに50歳を超えた中年男性ということらしく、更にはこの映画自体、サンタバーバラで青年期を過ごした監督の半自伝的な作品であるらしいことには驚きました。

劇中には映画的に脚色された派手なストーリー展開が用意されているわけではなく、前述の母子と、彼らを取り囲む男女の合わせて5人の日常に起こる小さな事件を延々と見せているだけなのですが、5人のルックスの良さや魅力的な内面に触れると、とても2時間では物足りないような気分になりました。些細なことでもいいから彼らの物語をもっと見せてくれという思いを抱いたのです。また彼らが生きる、政治や文化の激しい変動期である1979年という舞台設定もこの映画の重要な魅力の一つだったように思います。

しかし、それにしてもこの映画の最大の魅力は、そういった何てことのない緩やかな暮らしを描いておきながらも、映画をただの"日常系"では終わらせなかったところではないでしょうか。中盤、驚くべき時点から放たれる母の唐突なモノローグや、終盤に少しずつですが触れられる5人それぞれの後日譚には、この日常にもいずれ訪れる終焉をどうしても意識せざるを得ない作りになっている。光り輝くような1979年のこの日常さえ彼らにとっては一つの通過点であるということを悲観的になるでもなく突きつけられる部分に、見ている側としても深い余韻が残されるのです。この映画のそういった部分に、私は歌手・小沢健二の「さよならなんて云えないよ」という曲の一節を思い出さずにはいられません。

"南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる
オッケーよ なんて強がりばかりをみんな言いながら
本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると
そして心は静かに離れてゆくと"

もちろんマイク・ミルズは小沢健二なんて聞かないでしょうし、それどころかこの曲を知っている人でさえ、この映画を見て私のような連想に至るかは不明です。しかしこの『20センチュリー・ウーマン』は、「さよならなんて云えないよ」で小沢健二が伝えようとした情景をそのまま映像化したような、そんな刹那的な青春の輝きを間違いなく私に見せてくれたのでした。私がこの映画に激しく感動するのはまさにその部分においてなのです。


あと言っておきたいのは、私はエル・ファニングが出演している映画を見るのはおそらくこれが初めてだったのですが、登場時に彼女が着ていた黄色いシャツから確認される乳房の勾配などはちょっといやらしすぎるんじゃないかなあということと、幼馴染であるこの子が、夜になると部屋の窓から入ってきて一晩を同じベッドの中で過ごすなんていうのは、ちょっとファンタジー入ってるんじゃないかなあと、ラブコメが過ぎるんじゃないかなあということです。完全にファンになってしまいました。おわり。
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