「カートにとってのコートニーだ!」
私が「好きな女性のタイプは?」と聞かれた時に答える返答である。
映画としては評価に値しない。
カートコバーンの死が自殺とされたのに対して、当時の捜査が不十分だったことは分かった。
が、さしたる証拠もなしにコートニーが殺したと言わんばかり。
新しい視点はとても良い事だしそこは評価できる。が、何故に今更(2015年だから20年以上)だし、正直ドキュメンタリー映画とも言えもしないし、何だかなー。夜8時頃にやるテレビ番組レベル。
ジョンレノンやサムクック、マイケルら死が不審で色々言われるのはわかるし、カートも同様だろう。
ただカートだけは自殺なのである。
だから見ていて余計に腑に落ちずにもどかしいのであろうか?
平和主義者のジョンレノンや黒人の公民権運動に参加したサムクックの死が国家陰謀説を言われるのよくわかる。
好戦国家でレイシズムが文化のような合衆国にとって、反戦平和主義者や公民権活動家は敵である。
サムクックについては、Netflixの「(リマスター)サムクック」に描かれている。
さらに、これら真犯人は国家という強いモノだ!と言うのに対してコートニーと言う一個人。
ここは単なる一個人がやったと言っていてそれを映画にしているくらいなら、もう少しまともな証拠を出してから制作して欲しいものでだなーと思う。
さしたる証拠もない中、これ映画???って言いたくなるところがある。
だがコートニーが殺したと言わんばかりに作ってコートニーは何も言ってないのであろうか?
名誉毀損で訴えたりしてないのであろうか?
逆に、ここまでやるとヒール役の炎上マーケよろしくにも見えてくる。
だがこの映画が言わんとしていることが事実であれば、コートニーは紀州のドンファンを殺したと疑われる容疑者の元妻と大して変わらんくなるな。。。
そうすると、、
「カートにとってのコートニーだ!」の意味が・・・
好きなタイプは、、、
、、、、、
カートにとってのコートニー!
の次が、
ジョンにとってのヨーコ!
そして
シドにとってのナンシー!
だ!!
・
・
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って、、、
、
男は皆死んでんじゃねーか!!!