震災後、はじめて気仙沼に行ったときにむき出しになった家の土台や、ずっさりと波が持ってってしまって切り株が残った木を目前にあまりのショックでその場で号泣したことを思い出した。
5年経って忘れないようにしたい、と思っていてもやっぱりこうして視覚化されないと思い出さない自分にも絶望するけど、決して押し付けがましくなく、視覚化して思い出させてくれるこの作品は本当にひびいた。
震災はいつ終わるんだろう?
わたしたちの足もとはまだ揺れている
という言葉が印象的。
なににでも言えることだけど、なにかが起きたときに、消化できるスピードは人によって環境によって、違う。
その違いがあるということをおぼえていないと押しつけがましくなってしまうと思うけれど、この作品はその違いがあること自体を教えてくれている。
違いを認めて、消化して、ときにはそれが苦しくなって、叫びながらでも泣きながらでも、それでもそれ自体が生きている、ということなのかも。