しゃりあ

天国はまだ遠いのしゃりあのレビュー・感想・評価

天国はまだ遠い(2015年製作の映画)
4.5
よく出来ている短編だった
脚本の言い回しひとつひとつ、語尾まで考え抜かれて無駄がなく、38分の短さを感じさせない
映画的演出と演技については、『ハッピーアワー』を経由した後がよく見えるが、まぁ結構他の人も書いてるので省く



霊媒師といえば、依頼人側に寄り、それを救済しようと動くのが普通だ
しかし、"霊媒師"ポジである雄三は、依頼人である"妹 五月"に対して敵対的なのである

この映画の登場人物たちは、お互いの間に溝が存在している
簡単に言えば、

雄三⇔五月の間には、故人と幽霊という三月に対する認識の差が、
五月⇔三月の間には、17年間の死というディスコミュニケーションが、
三月⇔雄三の間には、生きている人と幽霊の世界の差が、
それぞれどうしようもなく横たわっている


依頼シーン
雄三にとって今その場に居て生活を共にする"人間"である三月

生きている人間とは少し違うが、17年生活を共にし、会話を交わしてきた雄三からすれば、それを、"故人"として扱う妹へどうしても苛立ちが生まれてしまう

10:55くらい、こんな涙の写し方ってあるんだと思った
画面に忍ばされるように落ちる三月の涙
姉のことを故人として扱う五月だが、雄三とは対照的に、三月からすれば想ってくれることが嬉しい
その乖離は、そのまま三月と雄三の間にあるズレでもある

また、「お前にはわかんねぇよな 勃つとかイくとかより、ずっと気持ちいいことがあんだよ 生きてる限り」
というセリフによって表される、雄三の三月に対する気持ちは、かなり印象的なダンスシーンの触れられなさともリンクして、死んだ人間と生きている人間の間にある溝、あるいはお互いの気持ちの異相をさらに浮き彫りにする

インタビューに入ると、妹 五月と雄三の間にある前述の認識の違いは、依頼時点より強調される
なぜ彼らより17年間、密接に過ごした自分が、こんな三月を離れたモノとして扱う妹や他人に、
"視えている"自分が、こんな"視えない"やつらに、
軽んじられ、嘘末〜!されないといけないのか

「信じないねえ」「当たり前じゃないですか」「そんなんで人から何か聞こうと思うなよ あんたの目が嫌いだ 見下しやがって……」
というセリフで静かに爆発する雄三の怒りは、当然ながら妹には伝わらない
それがまた悲痛だった


学校の話によって、ようやく三月が憑依し存在していることを信じた五月だが、一度雄三が挟み込まれることによって、三月の霊的存在が揺らぐことになる

『寝ても覚めても』でもあったが、この一度の振り戻しが重要だ

セラピーにしろ幽霊にしろ、五月はもう一度、三月が居るとして対話を試みる
2人の間に押しつぶされたピンマイクは、涙の音、そしてどちらかの心臓の鼓動を拾う
雄三には彼女たちが何を話したかは分からない
しかし、泣いている五月を見る雄三の目は柔らかで、五月も感謝の言葉を返す

だからこそ、最後、雄三は、触れられないために、17年もの間、言い淀んだ、飲み込んできた、躊躇った、諦めていた「好きだ」という言葉を三月に伝えられたのだ

そして、やはり「天国はまだ遠い」
三月は少なくとも雄三との生活を受け入れ、それはまだ当分続いていく

三月と五月の間にあった距離、五月と雄三の間にあった距離、そして雄三と三月の間にあった距離は、抱擁するように近づき、優しく埋められたのだ


もちろんこの距離が埋まっていくという受容は、映画内で行われる生死に関わるものから転じて、限界中年雄三、スペック高杉五月ちゃん、触れられない想い人三月という三者の立場差みたいなものとして読み解くこともできる
生々しさがあり、嫌味なマイナス部分をしっかり描写しながら、こういう希望的なところを最終的に描き上げる濱口監督の優しさとその手腕よ……