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聖の青春のCOZY922のレビュー・感想・評価

聖の青春(2016年製作の映画)
3.7
対局中の息詰まるような沈黙。あらゆる選択肢の何手も先を読む棋士たち。勝負の緊迫感や張り詰めた空気が好き。それがスポーツでも将棋でも、そこに全身全霊をかけて挑む者が放つ「気」や「熱さ」を感じるから。

「聖の青春」を観た。
最近観たばかりの「デスノート」のLの顔とあまりにも違う、風船のように膨れた顔の松山ケンイチ。松山ケンイチは本作の役作りのために20kg以上の増量をして臨んだらしい。Lの演技がまだ記憶に新しい私にとっては フライヤーで見る彼の顔はちょっとした驚きだった。

そして彼が演じる村山聖という人物。将棋のことをあまり知らなくとも、羽生善治の名前や かつて7冠を制したことを始めその戦績が輝かしいことくらいはさすがに知っている。村山聖は、その羽生善治を脅やかす才能を持ちながら病いで夭折したという。

すごく月並みだけれど、鑑賞後 思ったのは一瞬一瞬を大切に生きたいということ。命は皆 有限なのに 今が 曲がりなりにも健康体だと 人は 命が有限だということをつい忘れてしまいがちになる。聖の「今しかない」という叫びは 自分の命が長くないことを知っていたからこそだけれど、これは私達 皆に当てはまる言葉だと思う。明日の命を保証されている人は1人としていないのだから。

劇中の対局シーン、病いのせいで 聖はとても辛そうで、しかし、鬼気迫るようなものを醸し出している。一球入魂ならぬ『一駒入魂』。映画では少年期の彼が将棋とどう向き合ってきたのか詳しく描かれることはない。が、幼少の頃から病いと闘ってきた村山聖にとって盤と駒と相手さえいれば いつでもどこでもできる将棋は、友であり 心の拠り所であり 青春であり 人生だったのだろうと容易に想像できた。

「東の羽生、西の村山」と並び称され期待されていたという村山聖。生きていたら羽生善治さん達と共に将棋界をリードしていたことだろう。

映画を観た後、「聖の青春」という一見何の変哲もないタイトルがとても切なく感じた。
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